書評:井上智洋 AI時代の新・ベーシックインカム論 を読む

ざっくり言うと

IT企業勤務を経て、現在は人工知能と経済学の関係を研究する経済学者による、AIが発展した未来における、社会保障・経済政策のあり方についての提言。

AIが発展し、生産活動において人間の「労働」が必要なくなると、大量の失業者が発生する。その解決のためには、国民一人一人に無条件に一定金額を給付するベーシックインカムが必須であると述べる。

特徴的なのは、日本におけるベーシックインカム論における、政治的右派、左派の対立の構図の解説である。また、現代日本において、労働することが過度に尊重された価値観があることへの疑問、またそれが明治期に国家的に行われた教育により形成された儒教的エートス:価値観による影響であるとの指摘は注目である。

AIが発展することで人が職にあぶれても、それであくせく働かずに生きていけるようになれば、それで良いと私自身は思っていたが、ベーシックインカムによってそれが可能になるのだろうか。実現させるには、従来の労働を美徳としてきた我々の価値観を大きく転向させる必要がある。

また筆者の主張では、「労働する意欲が無い」ことは肉体的なハンディキャップ等と同様、救済されるに値するハンディととらえられると指摘している。

ベーシックインカム(BI)とは

ベーシックインカムとは、現在の生活保護や児童手当とは異なり、全ての国民一人あたり例えば7万円を毎月給付するという制度である。各家庭ではなく、一人あたり計算なので、4人家族なら4×7万円で28万円の給付となる。
(もちろん7万円のBIがあっても、さらに自分で働いて稼いだ分は自分の収入になる。)

メリットとしては、生活保護や児童手当と異なり受給の資格を審査する必要がなくなり、行政が簡素化できること。

また、経済政策として、市場への通貨供給量を増やすために現在は、

日銀→民間銀行→企業→家計 

という流れであるが、これがBIを導入することで、

日銀→家計→企業→民間銀行

に変えることができる。筆者は、経済政策としてこちらの方が効果が上がると主張している。(私は政治・経済に詳しくなく、そう言われればそんな気がする?ぐらいの理解しか正直分からん部分である。)

気になるのは財源だが、所得税、相続税の税率引き上げ等をあげている。しかし日本の財政は危機的状況であることはよく喧伝されているところである。本当にBIを実施する余裕があるのだろうか。

筆者によれば、日本は財政危機に陥ってなどいないと述べている。それどころか、財政危機であることを大前提にした政策論議こそ、亡国への道であり、この大前提を疑うところから議論を始めよ、と主張する。

最低限のベーシックインカムは所得税等の税金を財源とし、それに加えて、現在は法律で禁じられている、政府が発行する国債を日銀が直接引き受けて財源を確保せよと言う。

このあたり、現在の間接的なやり方でも財政規律が緩み、大変なことになると、「アベノミクスによろしく」に書いてあったが、はたしてどうだろうか。上にも書いた通り、このあたりの知見は私は持っていないのでこれから勉強していきたい。

アベノミクスによろしく (インターナショナル新書) この本はアベノミクスの「中身」とその「結果」について、政府や国際機関が公表しているデー...

ベーシックインカムがあることによって労働意欲が損なわれるのではないか、という反論は当然考えられるが、これは給付の金額によるものであり、海外での実験事例から考えて7万円程度の給付は労働意欲をほとんどそこなわないものと筆者は予想している。

儒教的エートスの呪縛

上記に挙げたような内容はAI+ベーシックインカム論としては、一般的な内容と言えるのではないかと思われる。

本書の特徴は、日本人の感じる労働への美徳、勤勉への美徳、といった価値観:これを儒教的エートスと筆者は呼ぶが、これらは明治以降の修身教育や教育勅語に基づく教育により培われたものであり、これが今後のベーシックインカム導入に向けた精神的障壁となる、という主張ではないかと私は考える。

筆者によれば、これらの儒教的エートスは、明治以降の近代に国家により人為的に押し付けられたものに過ぎないのに、それをが伝統的な日本人の心の有様であると勘違いして生き続けている、ということだ。

このエートスによる最大の問題点として、筆者は下記のように述べている。

儒教的エートスのうち、恐らく最も問題なのは「義」であり、日本人は「したいことをする」のではなく「すべきことをする」ことで人生の長い時間を過ごしている。コミュニティ内の明文化されている規則や、明文化されていない慣習を含む数限りない義務にがんじがらめになって生きているのである。

本書[義務が大好きな日本人]より

この部分はまさに、私自身の生き方について指摘されているようでハッとさせられた。実は会社の上司との面談においても、「あなたの生き方ってこんな感じだよね」と丸々指摘されたことと一緒なのだ。

この「義」は憲法のなかにも「労働の義務」として現れてくる。この勤労道徳はベーシックインカムとの相性がどうにも悪い。しかし、AIの発展によって訪れる仕事が無い世界において、どう国家を存続させるのか。儒教的エートスは、リバタリアニズムによって中和されるべきと筆者は説く。私自身も、リバタリアン的に生きた方がよいと最近は感じており、筆者の主張に同意するところだ。

「働く意欲が無い人」も救済に値するのか?

ベーシックインカムは、国民を選ばず全ての国民にお金を給付する。すると、この制度にただ乗りし、まったく働く意欲が無い人間に対して、税金を財源に生活資金が給付されることが起きる。これは、働いて税金を納めている立場からすれば受け入れがたい事態だ。

しかし、筆者は「働く意欲がない」ことは、身体の障害や老齢と同様にハンディキャップとして考えるべきと主張する。筆者は我々に自由意志など無く、遺伝と環境によって、労働意欲の強弱も決定されてしまう性質ではないか、と説く。

究極的には、働く意欲がある人は、そのような遺伝的性質や環境に運よく生まれただけであり、働く意欲が無い人は運がわるいのだと。このあたりは、なかなか受け入れづらいところではないだろうか。

「オレが身を粉にして働いた金で、遊んで暮らしやがって」という恨みの気持ちを抱く人は少なくないだろう。しかし、そこはなんとか慈悲の心で乗り切ってほしい。なにしろ、あなたが仕事で成功しているとしたら、あなたはただ労働意欲や能力に恵まれていてラッキーなだけなのだから。それを意識したら、怠け者に生まれついたり育ったりしたアンラッキーな人たちも救済されるべきだと思えてこないだろうか。

本書[怠け者はアンラッキー]より

私としては、そのような給付を認めても良いと考える。自分の人生は様々な意味で周りの環境に助けられ運が良かったと思っているからだ。もちろん、これからのAI時代において、しっかり稼ぐ能力が自分にあれば、税金を納めることもできるだろうが、その保証はない。

自分もベーシックインカムをあてにして生きていかざるを得ない状況となることを考慮すれば、どんな状況の人間でも給付してほしいと思うところだ。

このあたりは、政治学者ロールズの有名な「無知のヴェール」も引き合いに出して解説している。

これからの社会制度はこれから作り出すもの

私たちは「制度」というものを自然環境のように所与のものとして受け止めがちだが、制度は人為的な創造物に過ぎず、欠陥があればその変革を躊躇すべきではない。

本書[3.2 貨幣制度の変遷]より

会社でも入社した時からある制度は、何か自然の法則と同じように絶対的に従うことが当然のように感じてしまうものだ。だが、世界が変化していく中で社会制度も柔軟に制度を改めていかなければならない。これから我々が生きていく世界にふさわしい制度はどのような制度だろうか。自分自身はどういう世界に生きていきたいのか、改めて考えさせられる一冊であった。

AIによって、自分の仕事が奪われるのではないか心配な人や、将来の社会情勢に興味がある人は、一読の価値あり。