書評:山口周 武器になる哲学 を読む

武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50 学生時代、哲学と美術を専攻し、現在はコンサルタント会社に勤務する山口周氏による、「実用的」という観点でまとめられた哲学・思想の解説書。50人の哲学者(自然科学者等も含まれるが)とその思想を山口氏の視点から紹介している。 在来の哲学解説書は、「哲学史」をベースとして時系列にそって哲学者やその思想を紹介していく構成が多いが、本書ではコンサルタントして働く自らの経験に照らし合わせて現代を生きる上で「実用的」か、実際に役に立つかどうかという視点で思想をピックアップしている点が特徴的である。 時系列に沿う場合、古代ギリシャの哲学がまず紹介されるがこの内容が現代人にいまいちピンとこないため哲学に対して挫折してしまうケースが多いのではないか、と考えこういった構成をとったそうだ。 この試みは成功したと私は思う。あっという間に読み切らせるだけの魅力がある本だ。

哲学の有用性を知る。アウトプットとプロセス

哲学の有用性を知るために必要な視点として、山口氏は次の点を指摘している。 哲学が扱ってきた問いは、世界はどのようになりたっているのか、というwhatの問いと、その世界で我々はどう生きるべきなのかのhowの問いである。 このうち、whatの問いについてはその後自然科学が哲学からその座を受け継いでいる。その結果、哲学者が当時考えた「whatの問いに対する答え」は現在においては誤りであることが明らかであったり、当たり前として捉えられていたりする。 そうなると、哲学って学ぶ意味あるの?と感じてしまうかもしれない。 しかしそこから学ぶべきなのは、「what」の問いに対する答えではなく、いかにしてその答えに到達したか、というそのプロセスである。 この指摘はこれから哲学を学ぼうとするにあたって、重要なポイントだと思う。哲学や思想にはアウトプットが大事な場合と、プロセスが大事な場合とがある。それを意識的に分けて考えることが必要だ。 またその思想を理解するためには、その思想家が生きた当時の時代背景も知ることがプロセスのすごさを理解するためにも必要である。 今になっては当たり前であったり、受け入れがたい考え方に思われても、その思想家が生きた時代背景を踏まえて考えることでその価値がわかるものだ。だからアウトプットだけから学ぶのではなく、プロセスから学ぶ姿勢が重要である。 私が好きな哲学者にルソーがいる。主著のエミールを読んだときとても感動した。感銘を受けたのはルソーの主張自体だけではない。 自分の信念を得るためにルソーがどのようなプロセスを歩んだか、というところに感動したのだ。そしてこのような道筋をたどれば弱い自分にも何がしかのよりどころとなる基準が作れそうだと感じた、それが自分を勇気づけてくれたのであった。 だから、哲学者の言ってることが意味わからないとか、当たり前じゃんという風に思っていて、それって何の役にたつの?という人は、この点をよく理解してもらいたい。 それは自分の頭で考えて生きるために役に立つのだ。そして誰かが一生懸命考えてくれた成果を我々は当たり前のこととして享受して生きているのだ。

自由からの逃走:エーリッヒ・フロム

仕事をするうえで、自分で決めることができる裁量の多い働き方にあこがれることがあると思う。私もそういった働き方を望んできた。今の職場と私がいるポジションは非常に大きな裁量が与えられていて、とても自由な働き方ができる。しかしこの自由を手に入れた結果、その自由の重さに圧倒されることもままある。 本書で紹介されている、エーリッヒ・フロムの自由からの逃走、という思想から改めて自分の生き方を振り返ることができた。
自由であることには耐え難い孤独と痛烈な責任を伴う。これらに耐えつつなお、真の人間性の発露と言えるような自由を希求し続けることによって初めて人類にとって望ましい社会は生まれるはずですが、しかし、自由がその代償として必然的に生み出す、刺すような孤独と責任の重さに多くの人々は疲れ果てナチズムの全体主義に傾斜することを選んだ。

:06 自由からの逃走
本当にここに書いてある通り、自由であるために、孤独を感じるし自分の下した決断に対するまさしく痛烈な責任も感じている。「痛烈な責任」ってすごくいい表現だ。まさしく痛烈に感じられるんだ。 だから正直、上からの決定に従って働いている立場をうらやむこともある。自分も判断することから逃れたい。だれか権威に従ってしまいたい。これがまさにフロムが指摘した自由からの逃走なんだと思う。 山口氏によれば、フロムからの回答は次のようになる。
(前略)自分自身でものを考えたり、感じたり、話したりすることが重要であること。さらに、何よりも不可欠なのは「自分自身であること」について勇気と強さを持ち、自我を徹底的に肯定することだ、と。 :06 自由からの逃走
自由の重みを受け止めるために、自己を作り上げなければならないということ。最終的に、悔いを残さず生きるために自分はどうすべきか、改めて考えさせられる。

アンガージュマン:人生を「芸術作品」のように サルトル

また仕事の話だが、会社の問題をどうとらえるか、特に自分とあまり関係ない部署での問題に対してどう考えるべきか、疑問に思っていた。特にそれが全く自分が知らないうちに起きた問題であればいざしらず、何かしら自分自身不穏な兆候を感じていたりした場合である。 自分とは直接関係ない部署の問題だから「我関せず」といったスタンスの人も多い。というかほとんどそうだと思う。でもそれでいいんだろうか。その問題を知りつつ、それに対して主体的にかかわらず、関せず、と見送ることはその問題を是認することに等しいのではないかと。 「いじめ」の例がわかりやすい。いじめがあることを知っているにも関わらず、自分は積極的にいじめはしない、けどいじめをやめさせるよう働きかけもしない、というスタンスをとる人は多いんじゃないだろうか。でもそれは消極的にであっても、いじめを容認したということになる。 で、企業で働く場合、会社の中で閉じて仕事をしている人間は、「我関せず」で通せるかもしれない。だけれども、お客様の前に立つとき、それは通用しない。 会社の問題でお客様に迷惑をかけることがあれば、それがどの部署でどんな経緯で起きて、自分にどれだけ関わりがあろうがなかろうが、そこは会社の窓口として、まずは謝罪しなければならないし、お客様の指摘を受け止めねばならない。だから会社の問題はいつだって他人事ではなくジブンごとになるのだ。 それが中にいる人からはわからないんだな。きっと。愚痴っぽくなってしまった。 で、私のその疑問について同じことを考えていたのがサルトルのアンガージュマンという思想であるとこの本を読んで知った。
さらにサルトルは、私たちは「自分の行動」に責任があるだけでなく、この世界にも責任があると主張します。(中略)「人の一生のうちに”偶発事件”などというもの存在しえない」とさえサルトルは言います。サルトルが例に挙げているのは戦争です。、戦争を、人生の外側からやってきた事件のように考えるのは間違っている、その戦争は「わたしの戦争」にならなくてはいけない、なぜなら私は反戦運動に身を投じることも、兵役拒否をして逃走することも、自殺によって戦争に抗議することもできたはずなのに、それらをせず、世間体を気にして、あるいは単なる臆病さから、あるいは家族や国家を守りたいという主体的な意志によって、この戦争を「受け入れた」からです。」 :08 アンガージュマン
私が感じていたことをまさにサルトルが代弁していたとは。 でもフロムの「自由からの逃走」ではないが、この態度をとって生きていくことはとてつもなく重いことだ。まさしく「痛烈な責任」をまたしても負うことになる。それをサルトルは「自由の刑に処せられている」といった。 サルトルの提案した実存主義は、構造主義の登場により反駁されたかもしれないが、こういった問いかけはまだ我々に重く残されていると思う。

未来を予測する最善の方法 アラン・ケイ

数年前、社内の勉強会において、10年後の将来を予想し自分の担当する製品群をどのように育てていくかを発表するという企画があった。 私も発表者として参加したがその時思ったのは、将来を予測するなんてできないということだった。どれだけ頑張って予測しても、世界は予想を超える方向やスピードで進んでいくし、だいたい自分の制御の及ばざる現象によって未来は変わっていく。東日本の地震など自分の埒外の話である。 だから、私は将来を予想するのではなく、「どういう将来を自分は望むか」ということを考えたほうがいいと思った。どういう将来を自分は望むか、は自分がしっかりと考えれば現時点の自分においても100%の確信をもって述べることができるはずだと。 アラン・ケイはアメリカの計算機科学者であり、パーソナルコンピュータの父と言われる人物である。オブジェクト指向プログラミングとGUI設計の開発に大きな功績を残したそうだ。そのアラン・ケイの名言が下記のものだ。
未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ。 アラン・ケイ
この本を読んで、この言葉を知ったが、まさしくわが意を得たり、という思いだった。未来は自分と関係ないところで誰かが作り上げるものではない。自分自身がプレイヤーとしてかかわって作り上げていくものだ。

まとめ

以上に挙げたのは、今の私自身が感じる問題意識の網に引っかかった点であって、とても個人的な興味による部分だけだ。他にも興味深い話題がたくさん紹介されているが、これ以上やっても本の紹介ではなくなるので、後はぜひ自分の目で確認していただきたい。 いずれの話題も、「自分も同じこと考えてました。」みたいな話になってしまったけど、俺スゲーみたいな話ではなく、むしろ自分で似たような経験をしたことしか、人は本当に理解できないからそうなるのだ。 話題は50は多すぎで、半分以下程度に絞ってもよい気がした。かなり薄味な紹介に終わっている部分もある。個別の哲学者の思想についてより深く知るには原著を読むなり、他の参考文献をあたる必要があるのは当然だ。どのようなことを考えた人がいたのか、を知ることがまず大切ではないだろうか。その意味でこの本は格好の手引きとなる。 また筆者の他の主張に関しては他の著書でもっと触れることができるだろう。