現代でも色あせないビジネス書の古典 「論語と算盤」 渋沢栄一

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書) 渋沢栄一は日本資本主義の父、実業界の父と称せられる明治時代の大実業家。本書はその渋沢さんの思想を講演をもとにまとめたもの(の現代語訳)である。 現代社会において、指摘される資本主義や実業が内包する問題点、・競争原理によるモラルの退廃・拝金主義・人間の欲望の暴走を明治期にすでに感じ取り、孔子が論語において示した倫理に従い、バランスを保った生き方をせよ、と説く。 いわく、常識とはバランス感覚である、過ぎたるは及ばざるがごとし、と。読後の感想として思うのは、渋沢さんはバランス感覚と自分の中の基準を大事にした人だということ。その基準作りとバランス感覚は勉強とそして何より社会のなかでの豊富な実践の中で培われたものだ。 だからすぐにまねしてできるものではない。また、渋沢さんの基準が絶対の正解ではないと思うし、自分に合うとも限らない。現代において我々が生きていくにあたっては、今の社会環境を踏まえて一人一人が自分の基準を作り、そこからのバランス感覚をもった生き方をしていかなければならない。 しかし、そのうえで、渋沢さんという一つの偉大な例を知ることは、凡人一人一人大事なことかと思う。この本は色々な人に受け入れられたからこそ、読み継がれてきたわけだし。それはある程度一般性のあることが時の試練によって明らかにされたということ。 読んでみると、その内容は全く古びておらず、現代においても通用する内容なのは間違いない。現代語訳されていることもあり、現代の経営者が書いた本のような錯覚を覚えるくらいだ。企業人としての倫理、またワークライフバランスが問われる時代、自分の基準をどのように作り上げたらよいのか、現代のビジネスパーソンにも得る所の多い必読の一冊だ。 なお、論語とタイトルにあるが、論語のような古典をどう解釈するかは難しい問題であり、百人百様の解釈があり得る。本書内でも論語の読み方に関しては、「文章の裏の裏までくみ取るような読み方をしていかないと」と書いてあるが、結局、我田引水的な都合のよい読み方になることは避けられない。論語の文章を読み解くか、という時点で渋沢さんの価値観の影響を逃れえない。 よってこれは論語の入門書ではなく、あくまで実業家渋沢栄一の思想を知るための本だといえるだろう。

バランス感覚 倫理観、そして判断力

本書内で繰り返し述べられるのが、バランス感覚。孔子のことばを借りて中庸ともいわれる。決して極端に走らず、中庸を保て、と。 でもバランスを取るには「基準」をどこに置くか、がポイントだ。誰だって意識しているかは別として、自分なりにある基準に対してバランスを取って行動しているのだ。ただ、その基準は人それぞれ違う。だけれどもその人なりに、その基準が妥当だと思って暮らしているのが実情だ。 基準をいかにつくるか。渋沢は基準作りは普段の生活の中で行われると説く。実社会のなかで様々な経験をしながら働いたり勉強したりする中で、実践をもってして倫理観、見識を養えと。 その中で全体を通じて基準として示されているのは、「社会のために」という考え方だ。「誠実さ」「正しい行為」などと表現を変えて様々な言葉で語られているが、全体を通じて利他的な、無私の精神を以て実業に当たれ、というのが渋沢の思想の底辺となっている。
本当の経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、決して長く続くものではないと考えている。
現代の資本主義社会のありさまを見るに、非常に当を得た指摘だと誰もが思うだろう。 他人にそれを望めなくても、自分の影響の範囲だけは真っ当に生きて行きたいと思うところだ。しかし、一方で競争のためなら何でもやる、という人と相対したときどうすればよいのか。また、利他的であることを通じて自分が利益を得たいというのは、偽善にはならないだろうか。 このような点を踏まえて実践に当たっては、自分の価値観・判断基準が試されるだろう。 また、もうひとつ違った意味でのバランス感覚が紹介されている。
物事は、小さいものは大切にし、大きなものには驚かない大小にかかわらず、その性質をよく考慮して、その後でふさわしい取り扱いをするよう心掛けるのがよいのである。

「小さなことは分別せよ。大きなことには驚くな」
何か仕事上のトラブルがあったとき、小さく見えるトラブルを過小評価するな。大きく見えるトラブルにはむやみに驚いて圧倒されるな、という指摘である。これも一種のバランス感覚ととらえることができる。 トラブルに適切な評価をして対応することは、とっても大事なこと。自分自身よく判断を誤って、たいしたことないことで落ち込んで、重大なミスを過小評価したりと大いに課題があるところ。
「小さなことは分別せよ。大きなことには驚くな」は水戸光圀公の言葉らしいが、よく肝にめいじておきたい。

逆境に対峙した時

渋沢さんは、若いころから多くの逆境にぶつかってきた方であったようだ。
・まずは、尊王攘夷の志士として活動
・続いて、一橋家の家来としてなる。
・幕臣となりフランスへ留学するも、幕府は維新によって倒されてしまい帰国。
・明治政府の官僚となるが、民間産業の発展のため実業家に転身。
以上は簡単な略歴だが、それぞれのステージにおいて相当な苦労をされている。
渋沢の人生は、どうしようもない外部の事情に翻弄された面もつよい
この間の変化にさいして、もしかしたら自分には知恵や能力の足りないこともあったかもしれない。しかし勉強の点については、自己の力一杯にやったつもりで不足はなかったと思う。それなのに、社会の移り変わりや政治体制の刷新に直面すると、それをどうすることもできず、わたしは何とも逆境の人となってしまったのである。
その中で、得られた教訓として、「逆境とどう向き合うか」が語られている。その極意とは下記の通りだ。 まず自分が対峙している逆境は自分自身がコントロールできる種類のものなのか、それとも自分自身がコントロールできないものなのか、区別せよ。そのうえでどう対処するかが変わってくる。 自分自身がコントロールできるものならば、自分自身の努力で切り開けるはずだ。そもそも逆境に陥ったのも自分におごりや非があったためではないか。 一方、世の中にはどうしようもできないことがある。その時はそれを天命としてあるがままに受け容れよ。現状に満足することをしれば、過去の辛かった思い出を振り返れば、我慢できない現実などなく、心は平静を保てるはずだ。そして運が開けるのを待つ。 以上が渋沢さんの教訓である。実際問題、何か困難にあたったとき、自分がコントロールできる問題かどうか区別することは難しい。最初からは分からないので、どんな困難にもまず誠心誠意ぶちあたってみることが必要だろう。 自分自身がどうにかできなくても、そうやって奮闘しているところを助けてくれる人も現れたりするものだ。そのような人の力を借りて自分の能力を拡大することで、とてもコントロールできそうもなく見えた問題も解決できることもある。 一方、後から振り返ってみて、あれはどうにもできない類の事件だった、と分かることはある。そうした経験を重ねれば、判断力も増すだろう。 だけど最初から、あれは自分には関係ない、どうしようもない、あいつが悪い、会社が悪い、社会が悪い、と自分のことを棚に上げては、解決できるものも解決できない。結局、未熟者としてはまず全力で事にあたるってことがまず大事なんだと思う。

実業に求められるものとは?

最後に、渋沢さんが語った、実業において求められるもの、を紹介したい。 まず、一つは「自由」であり、「自分を頼りにする」こと。実業界は競争原理でスピードが大事。他人の指示待ちでなく、自分で考えて動けるかが大事だという。これ自体は、よく社会人の教育で言われることだ。 でも、これは上で紹介した、「倫理観」を現実の社会で発揮するときにも求められることではないだろうか。倫理の基準は先に述べたように自分一人一人が持つものである。 他人の指示に従うだけでなく、その指示に対して自分自身の倫理観をもって妥当かどうか判断する、納得いかなければ指示をした人間に意図を問いただすくらいの姿勢が必要だ。 昨今の企業における不祥事の数々を見るに、とても他人事とは思えない。自分自身の倫理観に沿った行動でしか、納得いく生き方は達成できないように思われる。 もう一つ挙げられているのは、仕事に対して「ワクワクするような楽しみ」を持て、ということ。「趣味」とも述べられている。理想の追求や欲望、好んだり楽しんだりすることであり、積極性の象徴のように語られている。定型的、形式的、事務的な仕事のしかたの対極にある概念だ。

「物事を進展させたい」
「モノの豊かさを実現したい」
という欲望を、まずは人は心に抱き続ける一方で、その欲望を実践に移していくために道理を持って欲しいということなのだ。
その趣味をやっぱり、自分の道理、倫理観に照らしてバランスを外さないように歩んでいく。それが渋沢流、実業の極意ということのようだ。

余談ながら

ちなみに、本書は最近、中日ドラゴンズに入団の根尾昂選手の愛読書としても注目されている。かなりの読書家らしく、下記の「思考の整理学」も読んでいるとか。クレバーな選手になりそうなので活躍に期待している。私は阪神ファンなんだけどね。。。
大阪桐蔭高校出身で中日ドラゴンズ ドラフト1位の根尾昂選手の愛読書としても有名。思考法に関する名著。自力で飛べないグライダー人間では、コンピューターに存在価値を奪われる という指摘はAI時代を迎えた現代人にも深く突き刺さる言葉だ。