書評:「無知」の技法 Not Knowing

「無知」の技法NotKnowing

知らないという姿勢で臨むことによって、私たちは先行きのわからない状況と向き合い、答えがない複雑な問題に取り組む。それは能動的なプロセスだ。新たな挑戦と学びに心を開く選択だ。複雑さ、曖昧さ、矛盾、不確実とともに生き、ともに歩む。既知と未知との境界線に立たされたときに直面する、「確信がない」という不安な状態に耐えるのである。

 そのためには「知らない」を「ない」でとらえるのをやめ、そこには機会と可能性が「ある」ととらえなければならない。その場所こそ、新しい知と出会えるばしょなのだ、と。

「「無知」の技法」スティーブン・デスーザ、ダイアナ・レナー著

無知と向き合い、可能性を引き出す

無知の哲学と言えばソクラテスの「無知の知」が有名だが、本書、無知の技法はその現代版として、「無知」を受け入れ、無知であるが故に開くことができる可能性に着目する。

誰も正解を知らない。本質的に正解などわからないかもしれないし、正解が存在するかも分からない世界において生きるために、「知らない」と言うことと向き合う姿勢が必要不可欠と教えてくれる。

新しいことに挑戦する時、先が見えずに不安を感じる時、力になってくれる一冊。私のお気に入りの一冊だ。

VUCAな世界で生きる

昨今VUCAという言葉を巷でよく見かけるようになった。

VUCAとは
Volatility(変動性)
Uncertainty(不確実性)
Complexity(複雑性)
Ambiguity(曖昧性)
の頭文字をとったアクロニム。変化のスピードが増し、さらに複雑化し予測しづらい最近の世界を指してこの言葉がよく使われている。

このような世界においては「知っていること」に頼ることへのリスクが高まる。世界は本質的に予測が難しく、未知の事態や現象がいつ起こってもおかしくない、と想定して行動することが大事である。それが「知らない」ことと向き合う「無知の技法」の教えである。

私の職業は技術者である。技術者は自分の専門とする分野の専門家であり、専門的「知識」を武器として、仕事をしている。知識の多寡が仕事の能力や他人からの評価に直結する職種であり、「知っていること」が重要とされる。また、たくさんのことを知っている人は権威となる。

しかし、知識や権威への信頼は度を過ぎれば盲信となってしまう。「専門家」は意外もあてにならない場合があるという事を本書は教えてくれる。特に、VUCAと呼ばれるような状況においては、過去の知識が、将来の成功を保証してくれない。自分の目でみて自分で考えて行動することが求められる。

ISOだって間違う

例えばISOは強力な権威である。特に西洋国家に対する憧れが未だに抜けない我が国にとっては。

余談だが、ファッション誌のモデルが碧眼金髪の西洋人だったりするのを見ると日本人のコンプレックスを感じてしまう。純日本ブランドの子供服のカタログモデルがみんなパツキンの赤ちゃんばっかりだったのにはたまげたモノだ。

話がそれたが、天下のISOと言えど人が作ったもので実は間違いがあったりする。自分の専門分野に関するISOで言えば規格の計算式内に重大なミスを見つけたこともある。

規格書通りに計算するとどうにも解釈に困る結果となってしまう。何度検算してもダメで、原著論文にあたってみて物理的意味を考えた時に規格の計算式の誤りに気がついた。ほかの研究機関の識者の方にも確認し、規格書に誤りがあることが確認された。(規格関係者には伝えているので次回改正ではでは修正されるはず。)

ISOと言えば泣く子も黙る国際規格様と恐れ入っていたのだけれどその中にも間違いがあったりするものです。何事も盲信せずに自分で試してよく考えてみる事が大事と心底感じた体験である。

ほかにも、上司や教科書など、権威への依存をしたくなる場面は多い。わからないとき、人はすぐ何かに頼りたくなるものである。しかしそんな時も、不安と向き合い、「知らない」という状態としっかり対峙することが必要だ。それは今まで気づくことのできなかった新たな発見の始まりかもしれないからだ。そのためには自分の目の前の現実を、誰かに頼るのではなく、自分の目でしっかり見据える必要があるのだ。

自分の不完全さを認め向き合う

自分が「知らない」ということを認め、それと向き合うことはどうしても抵抗があるものだ。それは、「知らない」ことを認めるためには、どうしても自分の不完全さを受け入れる必要があるからだ。

このくだり、アーシュラ・K・ル=グウィンの名作ファンタジー「ゲド戦記」の一巻「影との戦い」を思い出す。

才能溢れる若き魔法使いハイタカが自ら呼び出してしまった宿敵の「影」。影との生死をかけた戦いに勝つためには、影の本当の名前を知りそれを答えなければならない。

影の本当の名前を明らかにする。そのためにゲドは自己と向き合い、自らの弱さを受け入れる必要があった。そしてそれを乗り越え、影との戦いを制することで大魔法使いとしての更なる高みへと成長していったのであった。

現代の現実の世界に生きる我々も、「無知の技法」の実践を通じて、自分の不完全さと向き合い、成長していく必要があるのだと思う。

自分の考え方を変えてくれた一冊。おススメです。

装丁や挿絵も見逃せない

ついでではないが、本書は装丁が良いのもポイント。本全体はモノトーンで構成されている。その中に随所に挿入された挿絵?が芸術性高くて好印象。一ページ丸ごとや見開き2ページを使って、その章やセクションの内容を端的にタイポグラフィでデザイン表現した挿絵がふんだんにある。数えたら全部で39作品枚あった。総ページ数が352ページなので9ページに1作品という高密度だ。

これらは読者の目を楽しませるだけでなく、想像力を刺激して直感的な理解に誘う効果もある。素晴らしい。

続編 「無為」の技法

続編の「「無為」の技法」では、「無知:知らない」から「無為:しない」へとその技法を拡張して紹介しています。書評記事は下記のリンクから。

"しない"ことが開く可能性 エフォートレスな行動で、能力を最大化する 「無為」の技法 Not Doing 何かを自分は...

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世界について、自分は知っているという誤った思い込みを捨て、事実(ファクト)からしっかり世界を見つめ直すという提案。実は「無知の技法」の中にも、ファクトフルネス の著者、ハンス・ロスリング氏が登場していたりする。こちらもおススメです。

人々が世界を認識する際に、思い込みによって事実と異なるイメージを持っていることに気づいたハンス氏。10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣、をファクトフルネスと名付け、一冊の本にまとめあげた。それが本書である。
良い本との出会いは、人生を変えます。様々な知識や強烈な感情を読者に与えることで、物の見方、世界の見え方が一変し、視野を広げてくれる、あるいは全く新しい視点の存在を教えてくれるのです。思い出話も含まれますが、私の読書体験から、おすすめ本を紹介。