読んでいない本について堂々と語る方法

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

私は批評しないといけない本は読まないことにしている。読んだら影響を受けてしまうからだ。


オスカー・ワイルド

フランスの精神分析家ピエール・バイヤールによる、一風変わった読書・書評論。

1章は、「本を読んでいない」とはどういうことか、をそれぞれ解説している。一口に「読んでいない」と言っても、全く読んでいない本や、流し読み、読んだけど忘れてしまったなど、色々ある。そこを考えることは、逆に本を読むことの本質についても考えることになる。

2章では、どんな状況で本についてコメントすることが求められるかを述べている。大勢の人の前、作家本人の前、愛する人の前など、様々なシチュエーションが挙げられる。

3章は総まとめで、読んでいない本について語る際の方法論について述べている。

各章は、4つの節からなり、それぞれ文学作品や評論を一つづつ例に挙げ解説する構成になっている。翻訳もこなれており、フランス人らしいユーモアが感じられ、思わず吹き出すような箇所もあった。続いて、もう少し詳細に紹介する。

本に影響されずに自分の意見を語れ

筆者が読書や書評に求める、究極的な目標は、本についての意見を述べることを通じて、自らの思想や意見を伝える創作者となることだ。

その際、本を読んでしまうことによって、冒頭のオスカー・ワイルドの言葉のごとく、「自らの思想」が本の世界にのめり込むことでスポイルされてしまうと述べている。

教養というものは、その内部に他人の書物にのめり込む危険を孕んでいる ピエール・バイヤール

本を節操なく読むことで、自分の思想を失い他人の権威に惑わされ影響されてしまうことを言っている。これは重要な指摘だ。私も同意する。

ショーペンハウエルも、「読書について」という小論において、同様のことを述べている。

最終的に、読まずに本についてコメントする心得として、4点が示されている。

  1. 気後れしない
  2. 自分の考えを押し付ける
  3. 本をでっちあげる
  4. 自分自身について語る

この中で、著者がもっとも強調しているのは、4)の「自分自身について語る。」である。


書評なりなんなりは本についての「自分の主張、思想なり」を語る行為が本質と考えれば、自分の主張の分量を増やす、自分について語る、それこそが自分を表現する創作活動になると筆者は言う。

だから、本について詳細に立ち入ることは書評に必ずしも必要でなく、それよりも自分自身について語れ、ということだ。
それはもはや一般的に言うところの書評では無いと私には思われるが、それが純然たる創作活動であることは間違いないだろう。
一瞬、詭弁と思ってしまうが、筆者の主張にも一理ある。

結局本の「解説」をしたいのか、自分の意見を伝えたいのか、の違いがあるのだと思う。このあたり、自分のブログの書き方を振り返ってみても、意識できていなかったポイントなので参考になった。

本の内容から媒介された自分の意見・思想を自由に書く。これは本の内容を解説することよりも自分のオリジナリティを発揮できるやり方だしやりがいも感じられる。


そもそも本を読むとは何ぞや:精神分析的観点から

筆者によれば、大事なのは個別の本をくまなく読むことではなく、歴史のなかでの位置付けを知ることである。他の本との関連、文脈のなかで対象の本や作家がどのような位置づけであるかを知ることが、「全体の見晴らし」を得るうえで重要だからだ。


だから、この場合、読まずに堂々と語る、と言っても全く何の教養や知識も無いとできないことになる。

しかし、そもそも本を読むとはどういうことだろう。本のテキストを読むことを通じて、読者固有の人生経験と紐づけられて解釈された固有のイメージが生成される。これが読書の本質と筆者は言っている。つまり本を読むことで個々人の私的な体験をベースとしたそれぞれの解釈する世界が、読者の数だけできるわけだ。

皆さんも経験があるだろうが、自分自身が、かつて読んだ本であってももう一度読むと全然違った感想を覚える。これは読む読者の人生経験が変わるために生じる。そうやってテキストを読むことを通じて、イメージを作ることが読書だ。


このとき、違う人間同士それぞれ勝手なイメージを抱くわけで、個々人の経験に強く依存したイメージが読書の結果である。つまり、かっちりとした読書手順のようなものにのっとることで全員が同じ結論に至るわけではない。

我々が読書と読んでいる行為とはそれぐらい曖昧なものであり、それを理解しておかなくてはならないと筆者は指摘する。

なるほど、と思わせられる部分であり、精神分析家ならではの指摘と言える。

こう言った状況で、他人同士である一冊の本について語るとしても、どこまで噛み合うのか、筆者は疑問を呈している。噛み合っているようなお互いの幻想があるだけじゃないか?と。それは全てのコミュニケーションと同様に読書についても正しいと思う。

まとめ


筆者は人文系の人である。よって内容も人文系に寄った内容と感じた。技術系の場合、特に文学作品とは異なり、明確に論証可能なテーマを論じることがあり、その場合はまた異なるだろう。しかし技術系であっても、「教養」を扱う機会はある。その時には、この本が支えになってくれるかもしれない。


フランス人特有のユーモアを感じる。またメタ的要素を持つ作品だ。

訳者解説にも書いてあるが、筆者は自ら「本を読まずに語る方法」を極端に演じており、そこもまた面白い。一章ずつ独立した構成であり、そう難しい内容ではないため、ちょっと変わった本が読みたい人にはおすすめしたい。