読めない文字の国で 韓国出張記

韓国再訪

18年ぶり、2度目の韓国だった。
前回の訪問はまだ学生時代、国際学会に参加するため。そのとき記憶に残っているのは、光州空港を警備する兵士が自動小銃で武装していたことである。観光客がスーツケースを転がす、そのすぐ横に実弾の入った銃がある。休戦中とはいえ、この国は隣国との臨戦体制の中にあるのだ──この18年間、私の中の韓国はその印象で固定されていた。今回の出張は、いわばその記憶との答え合わせでもあった。

飛行機を降りて最初に感じたのは、既視感と違和感が同時に来る奇妙な感覚である。街並みは日本とよく似ている。人々の顔立ちも似ている。コンビニがあり、地下鉄があり、雑居ビルに看板がひしめいている。なのに、どこか決定的に違う。
この理由ははっきりしている。文字が読めないのだ。

ハングルは私にはまったく読めない。中国や台湾なら漢字からなんとなく意味が拾えるし英語なら頑張れば読める。でもハングルは幾何学模様にしか見えない。看板も、標識も、メニューも、すべてが意味を持たない図形として目に流れ込んでくる。これが不思議な効果を生む。見慣れた街の風景から意味だけが抜き取られて、夢の中を歩いているような感じがするのである。夢では文字が読めない、とよく言うが、あれを起きたまま体験しているに等しい。

街を走る車

移動中、ぼんやり車を眺めていて、あることに気づいた。日本車が走っていない。
大半がヒュンダイとKIA。輸入車ではテスラが多いのが意外だった。あとはBMWとベンツ、たまにシボレー。日本車は本当に見かけない。トヨタでも見つけるのは極めて困難である。
調べてみると、これには歴史的な経緯があった。韓国は1999年まで日本車の輸入自体を法律で禁じていて、その間に国内メーカーの寡占が固まった。今も日韓にはFTAがなく日本車には関税がかかる一方、欧米車はFTAで関税ゼロ。さらに2019年の不買運動で日産は撤退している。街の風景は、政策と歴史の地層でできているのだった。
トヨタほどの会社でも、隣国の市場に全く入れていない。海外で物を売るというのは本当に大変なことなのだと、走る車を眺めながら思った。

ちなみに車の色は白、黒、グレーの3種類しか無い。青、赤、黄色のカラバリは赤のシボレーのピックアップトラックを見かけたきりで一切ない。何故なのだろうか?

そしてDMZへ

滞在中、現地の商社の方が非武装地帯 DMZ に連れて行ってくれた。(臨津閣:Imjingak)
日本人にとって「陸続きの国境」は、それだけで完全な非日常である。ましてやここは国境ですらなく、休戦中の軍事境界線だ。戦争は終わっておらず、73年間ただ止まっているだけ。20年前の空港の小銃を覚えている身としては、いよいよその本丸に行くのか、という緊張があった。DMZに向かう道すがら、高速道路から眺める海岸線沿いには有刺鉄線のフェンスが張り巡らされ一定間隔で歩哨が警戒できる見張り台が設置されている。賑やかなソウルの繁華街からは想像もつかない、一線を画する光景だ。

そして実際DMZに、緊張はある。施設では写真を撮っていい場所とアングルが細かく制限され、カメラを向けてはいけない方向がある。ここが観光地の顔をした軍事施設であることを、ルールが静かに教えてくれる。20年前の印象は間違っていなかった。臨戦体制は、今もここに実在する。

それなのに、である。
駐車場にはツアーバスがずらりと並び、土産物売り場が賑わっている。北朝鮮の紙幣が土産物として売られていて、店のおばちゃんが熱心に売り込んでくる。DMZの鉄条網の切れ端まで、記念品として額装して売っている。そして敷地の一角には遊園地があり、絶叫マシンから歓声が上がっている。その向こうは地雷原である。

ベルリンの壁のかけらが売られたのは、壁が崩れた後だったそうだ。しかし、ここでは現役の軍事境界線の鉄条網が商品になっている。終わった歴史の記念品ではなく、進行中の戦争の記念品。この凄みに少し眩暈がした。

つまり、緊張が緩んで観光地になったのではないのだ。撮影制限という本物の軍事的緊張と、鉄条網の土産物が、同じ敷地に同居している。緊張は消えたのではなく、そのまま日常の一部へと後退した。この国では戦争が、生活と両立可能なものとして飼い慣らされている。

エスコートしてくれた商社の方は、終始淡々としていた。彼にとってDMZは、外国からの顧客を案内する観光名所のひとつなのである。北朝鮮について聞くと「韓国の人は北朝鮮にあまり興味は無いですよ」という。曰く、南北の実力差は圧倒的で、戦っても負けない。だから心配していない、と。

たしかに数字を見ればその通りで、韓国の経済規模は北の50倍以上、国防費だけで北の国家予算を超える。半導体と造船と自動車を持つ国と、飢餓が慢性化している国。日々ミサイルのニュースに反応している日本人のほうが、よほど北を大きく見ているのかもしれなかった。

資料館の中と外

ただ、資料館に入ると空気が変わる。
展示は重い。この資料館は朝鮮戦争時の地下壕を改造して作られており、初夏でも重く冷たい空気に包まれている。入り口すぐの足元には地雷が置いてある。商社の方はおどけて踏んで見せたが、無害化されてるとわかりきっていても踏む気にはとてもなれなかった。映像展示からは同じ民族が南北に引き裂かれた悲哀、離散家族、そして平和への希求。歴史への解釈がこれでもかと前面に出ていて、感情の温度が高い。日本人が見てもウルッと来るものがある。この国では歴史が完了形ではなく、現在進行形のまま置かれている。

そして一歩外に出ると、また土産物と絶叫マシンの世界に戻る。
この落差をどう考えればいいのか、今の理解はこうだ。矛盾しているのではなく、両方とも本物なのである。公式の記憶は資料館という装置に濃縮して保存し、日常はドライに商売をする。休戦状態が73年も続けば、脅威を日常の背景ノイズに折り畳まなければ生活が成り立たない。無関心に見えたものは、たぶん適応なのだ。

面白いのは、当の韓国人がドライで、日本人の私のほうがよほど感傷的になっていたことである。考えてみれば当たり前で、当事者の日常は部外者の非日常なのだ。広島の平和公園で、修学旅行生が笑いながら弁当を食べる横で外国人観光客が泣いていると聞くが、その裏返しである。歴史の重みは、距離があるほど「重み」として立ち上がる。近すぎると、生活になる。
陸続きに国境があり、常に隣国達と対峙してきた国。島国でぬくぬくと──という言い方は自虐が過ぎるにしても、地政学的な条件がここまで社会の気質に染み込むものかと思った。

分からなさを持ち帰る

数日の滞在である。見たのはこの国のほんの僅かな一面で、分かった気になってはいけない。
それでも、これだけは持ち帰れた気がする。日本と韓国は、似ているからこそ全然違う。読めない文字、走っていない日本車、商品になった鉄条網、資料館の中と外の温度差。ひとつひとつは小さな観察だが、並べてみると「隣の国のことを、私は何も知らなかった」という輪郭がくっきり浮かんでくる。

18年前に空港で見た小銃は、間違いなく本物だった。そして今回見た土産物売り場も同様に本物だ。臨戦体制と観光地ビジネスが矛盾なく同居する国。18年越しの答え合わせは、答えが一つではないと知ることで終わった。

分からなさの輪郭を持ち帰ること。短い旅の収穫としては、それで十分すぎるほどだと思っている。

両国の色々な歴史の象徴の少女像もありました。なぜ2人いる?

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