
コウガイビルと環世界 ユクスキュル: 生物から見た世界
「客観的に記述されうる環境というものはあるかもしれないが、その中にいるそれぞれの主体にとってみれば、そこに「現実に」存在しているのは、その...
生成AI×プロダクトマネージャー(PdM)×中小企業診断士。X(旧Twitter)は@KovaPlus
「客観的に記述されうる環境というものはあるかもしれないが、その中にいるそれぞれの主体にとってみれば、そこに「現実に」存在しているのは、その...
筆者はウイルス等を専門とする生物学者。題名からして科学哲学の本である。そして実際科学哲学を扱っているのだが、根底にあるのは、科学をどう扱うかということを通じて、「我々はこの世界でどうやって生きていくの?」という実存的な問いだ。
人は、自分の尺度でもって、全ての物事を図ろうとするが、例えば「時間」のように物理的に絶対的に思われる要素であっても、それをどのような尺度で感じ取っているかは生物によってそれぞれ異なる。個々の体のサイズに応じて、違う時間の単位があるのだ。
生物も無生物も、それを構成する原子は同じものなのに、生物と無生物のあいだを、どのように区別できるのか。本書では、この難問に対して、人の生命観の変遷を生物学の歴史とともに振り返りながら、著者の主張する「動的平衡論」について解説している。
哲学者である著者がタコの生態の観察を通じて、単なる物質である我々にどのようにして知性や心が生まれたのかを探る一冊。タコやイカ等の頭足類が主たる題材ではあるが、そのテーマは頭足類を一つのモデルとして、生物や人間の心の在り方を問う挑戦的な内容だ。