書評:ゾウの時間 ネズミの時間 本川達雄 車輪生物はなぜいない?

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)


学校にあがってまず習ったことの一つに 、時間とは時計で測るもので 、腹がへったから勝手にお昼 、とはならないということがあった 。自分がどう思う 、どう感じるなどとは関係なく決まった時間があって 、これには人間のみならず 、虫も花も獣も 、そして無機の自然も 、すべてがしたがわねばならぬものである 。そういう超越的絶対者が時間というものだ 、と教え込まれたような気がする 。始業のベルは 、なんとなく権威の響きがあった 。ところが 、時間は唯一絶対不変なものではない 、と動物学は教えている 。動物には動物のサイズによって変わるそれぞれの時計があり 、われわれの時計では 、ほかの動物の時間を単純には測れないのである。

「ゾウの時間 ネズミの時間」本川達雄

たいそう流行った有名な本である。

最近読んで、その内容に感心した伊藤亜紗氏の「目の見えない人はどのように世界を見ているのか」の中で、伊藤氏の思想のルーツとして紹介されていたので読んでみた。かつて読んだこともあったが、再度手に取り改めて良い本だと感じた。

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」は、目の見えない人がどのように世界を認識し、世界観を作り出しているかについて調査・考察した本だ。 晴眼者であることを当然として生活している自分たちの認識を相対化し、解体してくれる一冊だ。

本書の内容で有名なのは、体重と時間の間に相関があり、個々の生物の時間感覚は体重の1/4乗に比例するということ。この法則は、生物の様々な活動を律している。息をする時間の感覚、心臓が打つ感覚、腸が蠕動する時間感覚、血が体内を一巡するまでの時間、などなど、全て体の大きさに比例している。鼓動の周期を時間の周期と考えれば、体の大きさが違う生物の間には、時間の経過に対する感覚が違うはずだ。

人は、自分の尺度でもって、全ての物事を図ろうとするが、例えば「時間」のように物理的に絶対的に思われる要素であっても、それをどのような尺度で感じ取っているか、は生物によってそれぞれである。ゾウにはゾウの時間、イヌにはイヌの時間、そしてネズミにはネズミの時間、とそれぞれの体のサイズに応じて、違う時間の単位があるのだ。我々の視野を広げ、視点を相対化してくれる名著だ。

車輪生物は何故いない?

本書ではさまざまな生物のデザインを律している、物理的・生物学的制約について語っている。その中でも印象的だったのは、移動手段とそれに伴う、消費エネルギーの比較。下は本書より引用した図で、1kgの体重を1km運ぶのにどれだけのエネルギーが必要か、種々の動物の実験結果から求めたものである。

「ゾウの時間 ネズミの時間」本川達雄 著 より引用

本図ではグラフの右下に位置するものほど、より効率的な移動手段といえる。まず、同じ移動手段であれば、体重が大きく体が大きい方が効率が良いとわかる。また、同じ体重で比較すれば走るよりも飛ぶ方がコストが低いのが意外だ。さらに水中であれば魚の泳ぎが圧倒的に低コストなのも驚きだ。

さらに、サイクリストとして見逃せないのは自転車の効率の良さだ。名著ロードバイクの科学などでも、人間のほかの移動手段と比較して、自転車の素晴らしさが紹介されているが、ほかの動物たちと比べても引けをとらない数値だ。

ところで、これだけ車輪を使った自転車の効率が高いのであれば、移動に車輪を使う生物がいても良さそうなものだが、見かけたことが無い。本書によれば、移動に車輪を使う生物は皆無では無いが、バクテリアのごく一部が毛の生えた車輪を回して泳いでいるぐらいだそうである。

これはなぜか。それは車輪が効果を発揮するのは、整備された道があってこそだからだ。段差や、ぬかるみなどのない、平らで硬い道が必要なのだ。自転車などの車輪を使う移動手段は、人間が整備した環境があってこそ、最大限の効率を発揮できる乗り物である。

そういう意味では、性能を発揮できる環境を整備するコストまで考慮したら、必ずしも効率の良い移動手段とは言えなくなるのかもしれない。

もっと言えば、先に挙げた調査はいずれも平坦な場所での移動を前提にしていないか。登りになったら、自転車が非常にきつくなるのはサイクリストならずとも身にしみているだろう。上昇方向への移動を考慮した場合、どのようなグラフとなるか、調べた人がいれば見てみたいものだ。

移動手段としての車輪、自動車について、筆者はこう総括している。

環境と車との相性の問題は、大気汚染との関連で今まで問題にされることが多かった。しかし、ここで論じてきたように、車というものは、そもそも環境をまっ平らに変えてしまわなければ働けないものである。使い手の住む環境をあらかじめガラリと変えなければ作動しない技術など、上等な技術とは言いがたい。

「ゾウの時間 ネズミの時間」本川達雄

自動車はそれでも、比較的、完成度は高い技術ではあると別の箇所では、著者も述べているが、傾聴に値する指摘ではないだろうか。

棘皮動物の凄さ

筆者の専門はウニや、ヒトデ、ウミユリと言った棘皮動物の研究のようである。本書においても最終章は棘皮動物についてあてられている。これがとても面白い内容だった。

棘皮動物の秘密は、外骨格と内骨格の良いとこどりをした、その体の構造にある。硬い炭酸カルシウムの小片(骨)を、硬さを柔軟に制御できる「キャッチ結合組織」で接続することにより、移動時など柔軟性が必要な場面においては身体を柔軟に動かし、外敵から身を守るときなど、身体を固くしたい時には、ガッチリとした外骨格をキャッチ結合組織で実現できる。

これはコスト的にも優れた方式で、それなりの大きさを持ち、移動が俊敏でもないのに、海辺で棘皮動物が繁栄できている秘密であるそうだ。

棘皮動物には、高度な神経系や脳の働きは無い。しかしそんなものが無くっても、独自の洗練された機構や、戦略をとることで立派に生存し続けてきた。本川氏は高度な神経系を発達させずとも、生存競争に勝ち残ってるきた棘皮動物の素晴らしさについて、次のように喝破している。

もし棘皮動物を「頭が悪い!」と軽蔑するなら、「悪知恵をしぼらなければ生きて行けない生活をしている方が、よっぽどバカだ」と言い返すこともできるだろう。

「ゾウの時間 ネズミの時間」本川達雄


硬さではなく柔らかさが重要 は「知能はどこから生まれるのか」の中にも登場する指摘。硬さも柔らかさもうまく両立しているそれをうまく実現している機構の巧みさに感心した。

ゴリゴリの制御工学者であった筆者が抱いた問い。それは知能の源泉とは何なのか、と言うもの。その問いを探るために筆者はムカデ型ロボットを作り、構成論的アプローチからその問いに迫る。そしてその武器は、哲学者フッサールが提唱した、「現象学」である。

併せて読みたい

哲学者である著者がタコの生態の観察を通じて、単なる物質である我々にどのようにして知性や心が生まれたのかを探る一冊。タコやイカ等の頭足類が主たる題材ではあるが、そのテーマは頭足類を一つのモデルとして、生物や人間の心の在り方を問う挑戦的な内容だ。