書評:目の見えないアスリートの身体論 伊藤亜紗


潮新書 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

本ブログでも紹介した「目の見えない人は世界をどのように見ているのか」の著者、伊藤亜紗氏による一冊だ。本書では、パラスポーツの中でも目の見えない方の競技ー 陸上、水泳、ブラインドサッカー、ゴールボール ーに着目して、トップ競技者との対談を通して得られた知見について紹介している。

恥ずかしながら、私はパラスポーツというものは、健常者の行うスポーツを、障害のある方に向けて(障害があってもできるような形に)矮小化されたものだと思っていた。本書を読んでそのような考え方が全くの間違いであることを気付かされた。

障害は競技内容をスポイルするものではなく、拡張する追加ルール。追加ルールにより、新たな競技性が拡張されて、元のスポーツとは異なる高度な技術や別種の肉体の鍛錬が必要となるのだ。そこには、健常者とはまったく異なる身体や世界の認識に基づく世界がある。

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スポーツにおけるルールと障害の関係

そもそもスポーツはさまざまな制約=ルールにより成り立っている。

例えば、サッカーであればゴールにボールを入れるという目的に対して、手が使えないということに、合理的な理由などない。ルールでそう定めらているから、その方が競技として面白いと考えたから、ということでしかない。

ならば視覚がない事がルールに追加されたスポーツがあっても何ら不思議はないわけだ。

むしろ視覚がないことにより、音でフェイントをかける、と言った新たな戦略が生まれる。目が見えていては通用しない戦略が、視覚がないことにより有効となるのだ。

また目が見えないことによってドリブルなど競技中に行う動作にも求められる能力ややり方が変わってくる。

目の見えない人が、コートのどこにいるかを判別するためには、ゴールキーパーやコーチなど、競技中に場所を変えない人の声を聞きながら、距離を測り自分の位置を知るそうだ。それもゆっくりと動いているのではなく、自分もボールも相手プレイヤーも目まぐるしく動くなかで、瞬時にそれを行うということなので、想像を絶する能力といえよう。

また興味深いのは、目の見える世界的なサッカープレイヤーのメッシのドリブル技術が、目の見えない人のドリブルに近いのではないか、という指摘。メッシほどのプレイヤーになると、ドリブルをするのにボールを見る必要などない。ボールを見ずにできる究極のドリブルとはすなわち、ボールが見えない人の究極のドリブルに通じていたのだ。

スポーツのフィールドとエントロピー

スポーツの場は日常生活より整理されエントロピーの小さい状態となっている、という指摘も面白い。目の見えない状態で、パラスポーツの競技者は全力疾走したりする。健常者が目隠しして、同じことをやろうとしてもとてもできないわけだが、競技者は当然のこととして行う。これはもちろん競技者の鍛錬の賜物でもあるのだが、そのほかに「スポーツをプレーする場のエントロピーが日常生活の場より小さいため」であると筆者は述べている。

エントロピーとは物理用語であり、システムの乱雑さを示す概念だ。エントロピーが大きいほど、系は混沌としており、エントロピーが小さいほど、整然としているということである。これがパラスポーツにおいて、どのような意味を持つのだろうか。

雑踏の中のように、様々な人々が思い思いに動いていたり、思いもよらぬ箇所に障害物や段差があったりする場所とは異なり、スポーツの場は寸法が決まっているし、フィールドの中には競技に関係ないものは存在していない。集団競技などで他のプレイヤーがいる場合でも、同じスポーツをやっている以上、基本的な目的は共有されており、全く予測のつかない行動を取ることはない。

例えば、雑踏の中にボールを転がした時、ある人は無視するし、ある人はひろうかもしれない。カバンに入れて持ち帰るかもしれない。それに対して、たとえばブラインドサッカーなら、パス、ドリブル、フェイントなど選択肢はあるものの、「手を使わずに相手陣のゴールにボールを入れる。」という大目的は揺るがない。

目が見える、ということは状況の「見通し」が立つということであり、未来の予測が可能ということである。目が見えない方も、様々な工夫で予測を行なっているが、実際、晴眼者に及ばないことも事実としてある。予測がつかないことは決してネガティブな意味だけではなく、それを楽しむ態度を持った方がいることは前書「目の見えない人は世界をどう見ているか」にも指摘されていたが、それでも視覚を持たないことによる不便は確実にあるのだ。

しかし、そういった 予測のつかなさ を減らしてくれるのがスポーツの場であるということだ。それは、目の見える人たちからは分かりづらいが、目の見えない人にとっては特別な価値をもつ空間なのだろう。

まとめ

本書の構成は、パラスポーツのトッププレイヤーにインタビューした結果から得られた結論を前半でまとめて紹介し、後半は、取材時のインタビューを載せている。後半部分は生の声に近い情報が得られるのはとても良いのだが、一方で前半部分との繰り返しになるところは、やや密度が薄く感じた。この辺は痛し痒しであるが。

「健常者」と「障害者」という括りが日常行われているわけだが、誰一人として同じ肉体を持っているわけではなく、全ての人が異なる肉体を持っている訳である。この世に「普通の人」なんていないのだ。

そう言った世界に「健常者」と「障害者」という線引きをするのは、制度上必要な区別ではあるが、一方で恣意的なものに過ぎないとも感じる。

次回のオリンピックでは、パラリンピックにも要注目だぞ、と思うし体験する機会があれば、自分でもアイマスクをつけてやってみたいな、と思った。

未読の方は、是非読んでいただきたいオススメの一冊である。

併せて読みたい

本書の前に著者が著した「目の見えない人は世界をどう見ているか」は本書とセットで読むべき一冊。目の見えない人が捉える世界のあり方は驚くべきものだ。

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」は、目の見えない人がどのように世界を認識し、世界観を作り出しているかについて調査・考察した本だ。 晴眼者であることを当然として生活している自分たちの認識を相対化し、解体してくれる一冊だ。