書評:はじめての構造主義 橋爪大三郎 遠近法と視点、主体の誕生

構造主義の入門書は多々あるが、手頃な新書形式でのものといえば、内田樹の「寝ながら学べる構造主義」か、本書だろう。構造主義誕生の前提となった実存主義等の背景から、主だった思想家たちを一通り紹介した、「寝ながら学べる」に比べて、本書は、構造主義の中心人物の1人、「レヴィ・ストロース」の仕事にフォーカスを絞って解説した入門書である。レヴィ・ストロースの示した、親族関係の理論や神話分析の手法の説明を分かりやすく行う他、構造主義のバックボーンとなった数学理論について紹介する。

構造を見出した数学 遠近法の歴史

本書の特徴的な部分は、構造主義の重要なバックボーンとして、数学における〈構造〉の発見を挙げているところではないだろうか。本書の後半部分は、数学の発展が、構造主義にどのように関係してきたか、の解説にあてられている。その象徴として示されているのが、西洋絵画における遠近法の発展、と解体である。筆者の主張を要約すると下記のようになる。


西洋の知のシステムにおいて、もっとも重要とされたのは、「真理」であった。唯一絶対の真理があり、人間はいつかそれに到達できる、そう信じていた。

この「真理」について、人々は下記のように捉えていた。

一つは、「啓示」による真理。啓示は神から与えられるもので、具体例で言えば、聖書がそれに当たる。啓示の正しさを確認する手段はないし、確認する必要もない。ただ信仰があればそれで良い。神はいつでも正しいのだ。

もう一つは理性による真理。これはその正しさを理性によって確認できる。これは人が考えたものなので、その正しさはなんらかの形で保証しなければならない。

そのための手続きが、「証明」である。証明のよりどころになるのは、全ての証明の大本となる「公理」であり、これは疑いえないものとして、証明抜きに正しいとすることにしたものだ。

例えば、幾何学であれば、ユークリッドがまとめた5つの公理である。今回はそのうちの一つが重要なので示しておく。すなわち、

平行線公理「直線外の一点を通って、その直線に平行な直線を、一本だけ引くことができる。」

これらの公理を前提とするユークリッド幾何学は、この世界に対する完璧な説明として受け入れられた。その後、ユークリッド幾何学をベースとして17世紀のデカルトによる解析幾何学の発明、ニュートンの微積分の発見がなされた。これらは世界の仕組みの解明に絶大な効果を発揮した。世界の様々な物理現象もユークリッド幾何学を基礎として、記述できることが示されたのだ。

しかし19世紀を迎えて、ガウスがユークリッド幾何学とは異なる公理系を持つ、双曲線幾何学を見つけた。これにより永久不変の真理と思われた、ユークリッド幾何学も絶対のものではないことがわかった。公理とは世界のあるがままを映し出す、「真理」ではなく、数学者の決める規約に他ならない。都合がよく、矛盾がなければどんな公理も考えることができる。

それでも、ニュートンの物理学との親和性の高さから、ユークリッド幾何学は特別視された存在であった。しかしそれもアインシュタインの相対性理論により覆されることとなる。アインシュタインはユークリッド幾何学とは別の空間モデルにより自身の理論を構築したのだ。もう一つは量子力学。量子力学も、ユークリッド幾何学と異なる、ヒルベルト空間によって記述された。

これまで唯一絶対の真理があることを信じてきたが、なにが正しいかは、公理(前提)をどう置くかによって、決まる。つまり考え方の問題となった。公理を自明のものと考えれば、証明や論証の結果は真理に見える。しかし、そうみえるのはある知のシステムに閉じ込められていて、それを当たり前と思っているからじゃないか。という反省が起きた。

これに対して、構造主義は、「真理」を「制度」とみなす。制度は、人間が勝手に作ったもので、時代や文化によっても別のものとなる可能性がある。つまり唯一の真理などどこにも存在しない。数学の歴史がそのことを語っている。

遠近法と「視点」の存在 近代の成立

さらに筆者は西洋絵画の歴史も踏まえて解説していく。それは遠近法の歴史であり、遠近法から生まれた幾何学、射影幾何学が構造主義における〈構造〉と同じものを見出していると述べる。

筆者によれば、遠近法とは、物を見る制度であり、ヨーロッパの知のシステムをよく表している。遠近法は遠くにあるものを小さく、近くにあるものを大きく描く。

これが遠近法が現れる前は、どのように描かれていたのか。遠近法以前の中世描かれた絵画は、宗教画がほとんどであった。宗教画を描くにあたっては、遠近法とは全く異なるルール・制度が使われていた。それは、宗教的な価値に忠実であること。

価値のあるもの、神や天使は大きく、価値のないもの人間は小さく描く。天に近いものはうえに、悪魔は下にと言った具合だ。

ルネッサンス期(14〜16世紀)に入ると、だいぶ変化してくる。あくまでも人が見た世界として画面を構成するようになる。それが遠近法である。遠近法はこれ以来、西欧絵画の伝統になり、近代のものの見方の前提になっている。

世界がどんな風に見えるかは、いつ、どこから、それを見るかに左右される。だから世界を見える通りに描こうとすると、描く自分がおかれている時間と場所とをはっきりさせなければならない。すなわち「視点」を定めることが必要だ。

この遠近法における主体意識というのは、西洋文明における主体意識と関連があると筆者は述べている。社会を構成する主体、ものを考える主体、魂を救われる主体、などなど。

しかし、遠近法において我々が暮らす3次元の世界を2次元のキャンバスの上に写し取るには無理がある。そこで絵には、嘘が含まれることになる。絵の中の像(2次元)を実物の像(3次元)と対応付けて解釈するための嘘、仕組み(制度)でありそれが遠近法である。

これにより、遠近法のなかでは、先に挙げたユークリッドの平行線定理

「直線外の一点を通って、その直線に平行な直線を、一本だけ引くことができる。」

が成立しなくなる。そこで、いっそ人間の視覚に忠実に「全ての平行線は無限遠点で交わる」と考えよう。この公理系からできた幾何学が射影幾何学である。

射影幾何学においては、射影変換という操作により、視点が移動することで図形は別の形に変化する。例えば、正面からみると正方形の箱であっても、斜めから見れば平行四辺形のように見えるし、アオリを効かせて下から見上げれば、台形のように歪んで見える。これは別の形ではあるのだが、それでも4つの辺で構成されている四角形、という性質は変わらない。この変わらない性質が〈構造〉であり、これが構造主義でレヴィ・ストロースが扱った構造につながる、と筆者は述べている。


確かに、言われてみればなるほど、とうなづかされる論考である。いまいち掴みづらい、構造という概念も、数学との絡みで理解できたと思う。

興味深いのは遠近法により「見る」視点が意識されることで、「主体」の意識が確立されてきた、という指摘である。もし「見る」ことを行わなかったら、どうなるのだろうか?

伊藤亜紗氏の「目の見えない人はどう世界を見ているか」という本は、本ブログでも紹介している本だ。タイトルの通り、視覚に障害をもつ目の見えない人が、どのように世界を認識しているのか、を扱った本である。

このなかで目の見えない人の世界の認識について、「視覚がないことによって、死角が無い」と述べていたが、視覚によって主体意識が醸成されるものなのであれば、視覚を持たない人の思想は、晴眼者よりも主体を離れた、より客観的なものになるのだろうか?それは、肉体的な次元から構造主義に近い世界を生きることになるのだろうか。そういった身体的な特徴をもつ人から、どのようなことが学べるのだろうか。非常に興味深い問題である。

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」は、目の見えない人がどのように世界を認識し、世界観を作り出しているかについて調査・考察した本だ。 晴眼者であることを当然として生活している自分たちの認識を相対化し、解体してくれる一冊だ。


はじめての構造主義 (講談社現代新書)


2019年の4月あたりから、本記事のPVが上昇している。検索キーワード「近代の成立 遠近法」で流入してくるケースが非常に多い。皆さんどんだけマニアックなキーワードで検索しているんだよ、と思って調べてみると、現代文の教科書に「近代の成立、遠近法」という名前で紹介した本書の抜粋が使われているようだ。

具体的には筑摩書房の「 現B 337 精選現代文B」である。他にどんなものが取り上げられているか見てみると、

  • 思考バイアス 池内了
  • 生物の作る環境 日高敏隆
  • 科学・技術と生活空間 村上陽一郎 

などなど、面白そうな評論やらが盛りだくさんであった。自分が高校生のころ、現代文の教科書に何が書いてあったか、さっぱり思い出せないのだが、当時の教科書を今読み直したら、まったく違った視点で読めるだろう。

併せて読みたい

本書とおなじく、新書というフォーマットでの構造主義の入門書としては、内田樹氏の「寝ながら学べる構造主義」が有名。セットで読むとより理解しやすい。

哲学研究者の内田樹による、構造主義の初学者向け解説書。「寝ながら学べる」の枕ことばに偽りなく、気楽に読める一冊だ。思想を理解するには、歴史的経緯の理解が不可欠だが、構造主義前史の解説としてそこを丁寧にフォローしているのが好印象。

「目の見えないアスリートの身体論」は伊藤亜紗氏による著書で、本文中に挙げた「目の見えない人はどう世界を見ているのか」の続編のような著書である。本書では視覚に障害をもつパラスポーツのトッププレイヤーに対して、インタビューを行い、その知見をまとめている。そこでは、いわゆる健常者からは想像もつかない、世界が示される。

障害は競技をスポイルするものではなく、拡張する追加ルール。追加ルールにより、新たな競技性が追加されて、元のスポーツとは異なる高度な技術や別種の肉体の鍛錬が必要となるのだ。そこには、健常者とはまったく異なる身体や世界の認識に基づく世界がある。

三田誠広氏の「実存と構造」では、実存と構造はコインの表裏であり、現代を生きる我々にとってもうまく使えば役に立つ思考ツールだと述べている。色々な文学作品を紹介しながら、説明する構成が特徴的。文学好きの人には特に良いかも。

実存主義と構造主義は、コインの裏表である。筆者は本書の中で、古今の文学作品を交えながら、近代思想に大きな影響を与えた、構造主義、実存主義を、現代に生きる我々はどのように活用できるのか、を示している。