哲学研究者の内田樹による、構造主義の初学者向け解説書。「寝ながら学べる」の枕ことばに偽りなく、気楽に読める一冊だ。
特に、構造主義が生まれるに至った時代的背景についての解説は分かりやすい。思想を理解するには、歴史的経緯の理解が不可欠だが、そこをフォローしているのが好印象。それもいきなりソシュールあたりから始まるのではなく、ニーチェあたりの実存主義のはしりのあたりから始めてくれるのは私のような素人には見通しが得られてありがたい。
構造主義との出会いは、21歳の時だったか、兄が送ってくれた本がきっかけであった。当時は工学部の学部生でこれから研究室への配属が決まるぐらいだったころか。一人暮らしの下宿先に兄の手紙とともに送られてきた。これからサイエンスの道に入るなら、構造主義ぐらい知っておけと。兄とはそれほど親しくしていなかったので驚いたとともに、どんな話かわくわくしたのを覚えている。そのとき読んだのは、高田明典「知った気でいるあなたのための構造主義方法論入門」であった。
シニフィアンとか、シニフィエとか良く分からないなりに、今まで自分が生きてきた世界とはどうも違う新しい世界について、示されていることは分かった。
その本に書かれていた、「科学とは予測と制御の学問」との言葉は今でもよく覚えているが、これ自体は構造主義とはあまり関係ない文脈の中の話だ。結局出会ったものの、そのときはあまり理解できなかった。しかし分からないなりに、思想とか哲学に興味を持つ大きなきっかけとなった。
ちなみにもう一冊本が送られてきていて、C・J・アドラーの「本を読む本」であった。こちらは初見でもわかりやすい内容なので、すぐにお気に入りの一冊となった。振り返ってみてこの2冊は今の読書の方向性に大きな影響を与え、結果として人生も変えることとなった。大きな贈り物であった。
それから10年以上たち、改めて構造主義の入門書を手に取った。先だって読んだ「武器になる哲学」において参考文献リストに挙げられていた一冊。それが内田樹氏の「寝ながら学べる構造主義」だ。
前書きから、構造主義前史までが非常に良かった。これだけでも入門書としては十分な価値があると思う。(というかそこまでしか、結局よく理解できていないのかな。)
まず、現代はポスト構造主義の時代であるわけだが、それについての筆者の解釈としては、「ポスト」構造主義と言っても、構造主義は終わった思想ではない、と述べる。構造主義は終わったのではなく、世の中に広く普及し一般的・常識的な考え方になった、それを気の早い人たちが、構造主義は終わったと言っているだけだと。そう考えると、今はまさに構造主義全盛の時代と言えるわけだ。だれしもが意識せずとも構造主義の考え方で思考する時代。それが現代というわけなのだから。
現代はポスト構造主義の時代。構造主義は乗り越えられ、役目を終えた思想なのか。いや、そうではなく、ポスト構造主義期とは、構造主義の思考方法があまりに深く私たちのものの考え方や感じ方の中に浸透してしまったために、あらためて構造主義者の書物を読んだり、その思想を勉強したりしなくても、その発想方法そのものが私たちにとって「自明なもの」になってしまった時代。そしていささか気ぜわしい人たちが構造主義の終焉を語り始めた時代 だという風に私は考えています。内田樹 「寝ながら学べる構造主義」
さて、そうやって我々に浸透した、「構造主義的思考」とは何なのか。内田氏は下記のように述べている。
「私たちはつねにあるイデオロギーが『常識』として支配している、『偏見の時代』を生きている」という発想法そのものが、構造主義がもたらしたもっとも重要な「切り口」だからなのです。 (中略) 私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題になることもない。 私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。 内田樹「寝ながら学べる構造主義」
現代を生きる我々は、様々な価値観が世の中に存在し、絶対的な善も悪もなく、それぞれの価値観は相対的なものでしかないことを知っている。西洋文明は先進的で優れており、ジャングルの未開の部族の文化は後進的で劣っているとは考えない。ある国で紛争が起き武力衝突するとき、それぞれの勢力にそれぞれの立場があり、それぞれの言い分にも一理あることを理解したりする。
このような考え方が構造主義による成果であり、我々の世界はこの思考を前提として成り立っている。昨今の情勢を見る限り、そのような思考が現代人の間でどれだけ共有されているか、疑いたくなるようなニュースも多いが、少なくとも私程度がそういうことを考えられるくらいには普及した思想であることは間違いない。なるほど、これが構造主義の成果だったのか、と今更ながら気づかされた。
構造主義の解説書だといきなりソシュールから入ることが多いと思うが、本書では前史として3人の思想家によって地ならしされたと紹介している。
- マルクスの自分中心的な人間観から「地動説」的な人間観への転換
- フロイトによる、無意識と抑圧の存在の指摘
- ニーチェ:我々の「常識」とはある時代や地域に固有の「偏見」に過ぎないことの発見
そこから、一般的に構造主義の始祖とされる、ソシュールの「一般言語学講義」につなげて説明してくれる。このあたり、著者の私見も含まれると思うが、わかりやすく好印象であった。
続いて、構造主義の四騎士として、フーコー:系譜学バルト:記号論レヴィ・ストロース:文化人類学ラカン:精神分析と続く。
レヴィ・ストロースまでは、何となくわかった。ラカンからは難解で良く分からないし、色々と何とでも言えそうな気がする。結局精神分析というのは、解釈次第でどうとでも言える分野だと思っている。
結局10年たっても入門的知識からは進んでないのが明らかなのだが、それでも、この10年で多少の人生経験も積み、哲学的な問題にも自分自身悩む経験があり、前よりは自分事として捉えられるようになったかな。この一冊で済むというわけではないが、良質な入門書だと思う。
次は、レヴィ・ストロースの「野生の思考」を読んでみようかしら。
併せて読みたい
同じく構造主義の入門書として、手に取りやすいのは、橋爪大三郎氏の「はじめての構造主義」。こちらでは、レヴィ・ストロースの仕事に特に注目している。数学と構造主義の関連性をわかりやすく解説しているところが特徴的。
同じ著者のコラム集。こちらは一般的なコラムでより読みやすい内容。
三田誠広氏の「実存と構造」では、実存と構造はコインの表裏であり、現代を生きる我々にとってもうまく使えば役に立つ思考ツールだと述べている。色々な文学作品を紹介しながら、説明する構成が特徴的。文学好きの人には特に良いかも。