書評:上野千鶴子 情報生産者になる を読む

情報生産者になる (ちくま新書)

「ひとが答えのない問いに立ち向かうための、だれにでもわかり、どこでも通用するノウハウです。」


フェミニストであり社会学者の上野千鶴子による、情報を消費するだけではなく、価値のある情報を生産するための方法論。研究者時代の自身の経験や東大や立教大などでのゼミでの指導方法論などをまとめた一冊。

私自身は、自然科学・工学系の出身なので、社会科学の研究方法論や、その実例を見る事ができて新鮮であった。

基本は著者の専門である社会科学の研究方法論として書かれているが、その内容は自然科学系でも十分通用するし、企業における企画・計画あるいは仕事の進め方の論としても通用する内容である。特に、上野ゼミの卒業生が在学中にまとめた資料「東大で上野千鶴子に論文執筆を学ぶ」は秀逸であった。もっともこれは上野氏本人の文章ではないが。


実際、本書中には上野ゼミの卒業生は企業に入っても企画書の書き方がうまいと、言われるそうだが、なるほどそれもうなづけると感じた。人間が物事を探求し、その結果を伝えるという事について、分野は違えど本質的な部分は共通しているという事かと思う。会社の新人教育に使っても良いかもしれないくらいだ。


また、社会科学の研究においては研究者の観察眼の鋭さ、感覚の鋭さが新しい発見をするための重要な要素となる。民族誌の研究においては、観察者のバイアスによって、研究結果が大きく影響されることを指して、「自分の身体をツール(観測器)として他者を測る」と表現するそうだ。

ジェンダーの差が、「観測器」そしての人類学者の性能を左右していたことになります。

:7 対象と方法の選択

神林長平のSF小説、アンブロークンアローでは、機械知性が人間の思考を探るため、人間である主人公を観測器として使う場面が書かれているが、まさにそれを想起させる文言だ。

さて、このとき、人間の観測機としての性能はどのように評価できるだろうか。誰であってもその人固有のバイアスからは逃れられないが、観測器の性能の一つとしての分解能の高さを、知識の量を目安として示すことができるかもしれない。

構造主義的な考え方だが、知識や語彙の量は現実を切り取る道具の精密さとして捉えることが可能だ。知らない事は認識できない。現実を細かく分割し把握するためには道具となる知識が必要だ。コレクションのためでなく、活用するために知識は獲得したいものだ。

上野式方法論:自分自身を振り返って


ここに書いてあることは、方法論や指導方針としては、「うんうん」とうなづいて読むことができて良く納得したが、その具体的内容については、既に知っていたり、学生時代から指導され実践してきた内容がほとんどであった。

結局、読んでみて感じたのは、自分が所属した研究室は自分をしっかり指導してくれたんだということ。


別に上野ゼミではないが、しっかりとした研究室で学生生活をおくることができて本当に良かった、と改めて感じた。私を指導してくれた教授、助教の先生や、先輩、同期の学生、後輩たちに感謝したい。やはりそのとき学んだ方法論は今でも自分を支えてくれる基礎となっていると、実感できている。

この本で扱っている内容は、問題を設定し、それに対するアプローチを検討し、上司からの許可を得て実行し、その成果を他者に分かりやすく伝える技術、ということなのだから、社会におけるどんな場面においても活用することができる技術だ。

私のように、それを教えてくれる指導者に巡り合うことができれば何よりありがたいことだし、運悪く恵まれなければこの本から学ぶことができるというわけだ。指導者に恵まれなかったかたは一読の価値ありと言えるだろう。もしかしたら人生が変わるぐらいの効果が期待できるかもしれない。

ブログ運営にも参考になる

ブログも自分の疑問を調べて、主張を述べるという意味では、一種の社会科学であり、情報生産活動だ。本書の後半では、自分の主張をアウトプットする際に注意するべき事項が述べられている。これはブログ記事執筆上もおおいに参考になる内容だ。

  • 結論から述べよ
  • タイトルが重要
  • 目次から考えろ
  • 引用に頼りすぎるな
  • わかりやすい日本語でかけ
  • 誰に宛ててメッセージを届けたいのか

ただ、これらの内容はブログ記事や文章作成術に関するほかの書籍とかぶる内容も多い。色々な人が指摘する事は、それだけ普遍的な価値があるということかも知れないが、新鮮味が無いとも言える。

別に仕事がはかどれば、方法に新鮮味など必要ないわけだが、期待しすぎてはいけない。類似書を何冊か読んできた人間なら特に、だ。一方、この手の本を読んだことが少なければ手に取ってチェックして損は無いだろう。

私の問いは何だ???

この本の中で最も重要な点は、何度も繰り返される、「私の問い」とは何か、という問いかけだ。その問いが全ての出発点となる。

問いをたてること、私の問いとはなんだ?人はパンのみにて生きるにあらず。人は生きるために、何らかの意義や意味が必要な動物だ。その意義や意味が私の問い、上野氏いわく、「あなたをつかんで離さないもの」なのだろう。

私の問いとはなんだ?今の私はそれを見失ってしまった気がする。というより、かつて私の問いだと思っていたものは、他人の問いであったことに気づいてしまった、という方が正確だろうか。

私の問いとは何だ?と問い続けながら生きていく日々がしばらく続きそうだ。

併せて読みたい

論文執筆・文章作成の件に絞ると、以下の「理科系の作文技術」は白眉の出来である。

仕事で使える文章作成の参考書として、これに勝る本は無いというほどの名著。学生時代はもちろん、社会人になってからも間違いなく役に立つ。仕事は他人からの評価でその価値が決まる。その評価を左右するのが「理科系の作文技術」が伝える報告の技法だ。