書評:セイバーメトリクスの落とし穴 お股ニキ

セイバーメトリクスの落とし穴 (光文社新書)

私の考えは独特だとよく言われる。お股ニキというふざけた名前だし、プレーヤーとしては素人だから、疑われるのも当然だ。だが、私としてはありのままの印象を率直に語っているだけだ。素人だって自分の目線で考えることはできる。色々な試合をフラットに見れば、理解できることもある。野球界の「内側」にいないからこそ、余計なバイアスがかかっていない。

野球経験は中学の部活動(しかも途中で退部)ながら、膨大な野球観戦の経験と、詳細なデータ分析を通じて得られた知見からの的確なコメントが人気のツイッタラー、「お股ニキ」氏による初めての著書。素人ながら、あのメジャーリーガー、ダルビッシュ・有選手と交流を持ち、2人で完成させた魔球、「お股ツーシーム」のエピソードはあまりにも有名である。

本書では、氏の今までのツイートなどをベースに、技術論から監督の采配、さらには球団の経営論や野球文化論まで幅広く、とてつもない熱量で、いい意味で「前のめりに」語られている。

総ページ数は本文のみで335ページと、新書にしてはかなりボリューミー。欄外には細かく脚注が入っており、本文中で使われた用語や、選手名についての一口解説がついており、これもまた面白い。私はMLBの選手はほとんど知らないor名前だけしか知らない、ので非常に参考になった。野球好きの方なら、パラパラと眺めるだけでも時間が経つのを忘れるほど、のめりこめるだろう。

本記事では、阪神ファンとしての自分の目線で本書を読んだ感想と、タイトルにある「セイバーメトリクスの落とし穴」というフレーズに着目して紹介したい。

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甲子園のパークファクターとラッキーゾーン

本書では阪神の話題がいくつか挙げられている。藤浪のピッチング(制球力)の話、梅野や坂本のフレーミングの話など、興味深いが、ここではまず、阪神の本拠地、甲子園球場のパークファクターに関する話題を紹介したい。

野球というのは不思議な競技で、塁間や、マウンドの距離関係は決まっているが、球場の外形については規定がない。そのため、球場ごとにその形状がバラバラであり、個性がある。よってどの球場で試合をするかによって、ホームランの出やすさや、得点の入りやすさが、選手の能力とは関係なく変動してしまう。その変動具合を示す指標がパークファクターで、高い数値ほど点が入りやすく、低いほど点が入りづらい。

その中で、甲子園球場のパークファクターは、12球団中、11位と非常に低い値となっており、ホームランは出にくく、得点も入りづらい特性を持つ。特に左中間、右中間が深い球場の形と、左バッターにとっては不利になる浜風の影響であろう。(ちなみに、最下位は中日の本拠地、ナゴヤドーム。)毎年のごとく貧打に悩まされるのは、球場の特性にも原因があるのだ。

ここで、お股ニキ氏は、球場の形状を変更し、ホームランを出やすくするラッキーゾーンの復活を主張している。その根拠は、投手陣が優秀な阪神であれば、ホームランが出やすい球場でも、失点をある程度防げるだろうという点、そして、野手の打力の低さに加え、守備の不味さを挙げている。

私としては、広い球場である利を活かして、守りが硬く、1点を守り切るような戦い方をしてほしいな、と思っているのだが、現実的にはそのようなチーム構成には程遠いのもまた事実である。守備や打撃を伸ばす、というのは選手や監督・コーチレベルでの努力の話であるが、選手の能力というものは練習すれば確実に伸びる保証はない。一方、球場の形状はお金次第で確実に変更できるものである。しかも、うまくいかなければ元に戻すこともできる。選手の奮起や、外国人選手に望みを託すだけでなく、球団としての冷静な判断が必要だと感じた。

どうも、甲子園での試合を見ていると、対戦するチームは軽々と柵越えを打つのに、こちらの打者は打てそうもないため、球場を狭くしても一方的に打ち込まれてしまうのではないかと心配になるが、実際、浜スタなどの狭い球場では打線が爆発し、圧倒しているのだ。

お股氏は、本書で阪神を評して「明らかに狭い球場向きのチーム構成」と言っている。私の守り勝つ野球へのあこがれは、それは一つのロマンとして大切にしておいて、現実的にはラッキーゾーンを設けて、打ち勝つ阪神を見たい、と感じた。

成功体験への固執:赤星の幻影

第7章においては、球団経営、補強論について、語られている。その中で「成功体験の幻影」においては、その典型例として赤星が挙げられている。

ビジネスにも通じるが、誰しも成功体験をするとそれにこだわってしまい、なかなか捨てられない。一般人でも超一流の野球人でも同じである。各球団、フロントもファンも未だにその幻影を追いかけている選手がいる。誰が見ても最初から素晴らしいスターよりも、ちょっと小柄だったりドラフト下位指名だったりすると、なおさらその傾向がある。

若くして、引退したため、衰えた姿を見せなかったことが拍車をかけるのか、たしかに阪神はあの赤星の幻をずっと追い続けている。今年のドラフト1位で獲得した新人、近本選手も俊足巧打、左打ちの外野手で非常にタイプ的には似ている。ここまでのオープン戦は堅調だが、幻影を振り払い、本物となることはできるだろうか。

ところで、近本選手はさておき、ここで指摘されている「成功体験に固執することの危険性」は、非常に重要である。野球に問わず、人生における教訓として心がけるべきだと思う。

お股ニキ氏の思考の特徴としては、戦術だけでなく、長期の戦略を意識する「大局観」であったり、「ゼロヒャクの2元論ではなく、60〜80を中心とする」といった確率論的哲学が挙げられる。この、「成功体験に固執してはいけない」というところも、その現れのように思う。

成功体験に固執すると言うのは、過去にうまくいった、ある「ひとつの手法」に執着するということである。これはつまり、それ以外の手法を認めないと言うことであり、氏の指摘するところの、「ゼロかヒャクかの2元論」に連なる発想である。

アメリカの女流作家、ウィラ・キャザーは、ひとつの方法に固執することの問題について、次の言葉を残している。

「一人では多すぎる。一人では全てを奪ってしまう。」

 ウィラ・ギャザー

何かをやるときに、アイデアやアプローチは複数確保することが大事。一つの方針だけでは「多すぎる」のだ。一つしかないと、人間その一つに執着してしまう。他のことが考えられないし、いつしか他の方法があることを認められなくなってしまう。そうなったら、その一つのプランがもし駄目だったときのバックアップがない。

現実はいつも意地悪なもので、こちらの想定を裏切ってくる。手段は多いほどよい。いつでも視野を広くしておき、多様な意見を受け入れる度量を持ちたいものだ。

これは、お股本とは関係ない話で余談だが、2018年、阪神タイガースは助っ人外国人野手をロサリオ選手一人しか獲得しなかった。韓国球界での実績から活躍間違いなし、と見込んでのことであったが、実際は期待に応えることができなかった。しかも、代わりの助っ人外国人は獲得していなかったため、プランBもなく、ずるずると損切りできずに試合に出し続け傷口を広げることとなった。

仮にロサリオが額面通りの活躍をしたとしても、長いシーズン怪我をするかもしれないし、どんなことが起きるかわからない。「一人では多すぎる」は、プロ野球のチーム作りにもまた重要な教訓だ。

セイバーメトリクスの落とし穴、とは

さて、本書のタイトルとなっている「セイバーメトリクスの落とし穴」である。これについての、お股ニキ氏の回答は7章に示されている。

ほぼ全てのプレーを統計化できる野球はデータ分析との親和性が高く、テクノロジーの進化の恩恵を受けて発展してきたのは間違いない。近年のITの発展はすさまじく、今後もさらに新たなトレンドや革命がここから生まれる可能性も高いだろう。

しかし、そんな時代だからあえて言いたいのが、データ分析の危険性である。データは決して万能ではなく、どんなに高度な統計技術を用いても、主観やバイアスが入るリスクは消し去れない。元々のデータ自体が事実を100%表現しているとも言いきれない。

昨今の技術の進展はめざましく、投球であれば球速の計測だけでなく、ボールの回転数や回転方向、3次元的な軌道までリアルタイムに解析できるようになった。さらに、統計分析の手法も発展し、さまざまな指標が登場している。毎年何百もの試合が行われ、さらにその中で行われた何百ものプレーのデータが、蓄積されていく事により、膨大な量の統計データが得られる。野球は確率のスポーツとも言われるが、統計的な分析と相性がいいスポーツであるのは間違いない。

しかし、そこでお股ニキ氏はこう指摘する。野球の本質を追求せずに、いたずらに数字や指標ばかりを見てはならないと。

例えば、「得点圏打率」の例が挙げられている。得点圏打率自体は、古くからある指標であり、野球中継などにおいてもよく解説者などが取り上げたりするデータである。ところが、最近では「得点圏打率はサンプル数が少なくオカルト(役に立たない)である」という風潮もネット上などでは一部ある。

これについてのお股ニキ氏の反論は痛快だ。

チャンスやピンチの場面での精神力や対応力は決して運や偶然ではなく、人によって差があることは、人生を経験すれば誰だってわかるだろう。

まさしくその通りである。サンプル数が少なければ、精度が落ちるのはどの指標にしても同様である。得点圏打率のみを頭ごなしに否定はできない。どのようなデータを見る際にも、統計的に有意といえるような十分なサンプル数があるか、を押さえて、その上で参照するか判断するべきであろう。

本書では、「セイバーメトリクスによって「新しく」導入された指標は、「古い指標」より客観的で科学的である」、という誤解があると氏は嘆いている。

実際は、どのような指標も評価者の主観からは逃れられない。まず、指標を定義するにあたっては、野球のプレーの「何を」評価するべきか、「どのように」評価するべきか、ということを定義しなければならない。この定義を行う時点で指標の発案者の主観が入る事になる。これは原理的に避けることができない。

さらに、指標を分析する人が、どの指標を参照するかもまた完全に分析者の主観による選択なのだ。この選手を評価するときに、「打率」で評価するか、「OPS」で評価するか、はたまた「盗塁成功率」で評価するか、どれにするかというのは主観でしかない。

「セイバーメトリクスは絶対的に客観的な指標」という思い込みを以って、頭ごなしに権威主義的に判断することこそが、一番客観的ではない、主観的な判断であり、非科学的な思考である、とお股ニキ氏のため息が聞こえてきそうだ。

お股ニキ氏は、7章の結びを次のように締めている。

何かある度に指標ばかりに頼る人には「考えるな、感じろ!」と言いたくなってしまう。数字や指標は極めて大切だが、まずはスポーツの本質や野球という競技自体への理解が必要だ。

野球にかかわらず、ビジネスや政治、経済においてもデータ分析や指標が持ち上げられる現代において、非常に重みのある言葉ではないだろうか。数字や指標は重要だが、より重要なのは、その数字や指標をいかに「解釈」し役立てていけるか、なのだ。そしてそのためには、物事の本質に関しての洞察が不可欠なのである。

終わりに

以上、述べたように野球ファン、特にちょっとコアな野球ファンには是非手にとってもらいたい一冊である。野球についてはもちろん、それ以外のことについても発見を与えてくれるかもしれない。

思いがけず、長文となったが、お股ニキ氏の今後ますますの御活躍を祈念して、筆を置きたい。

併せて読みたい

データ分析については、最近邦訳された「データは騙る」がおススメ。セイバーメトリクスのことも少し取り上げられています。また、「週刊ベースボール」の表紙に取り上げられた選手は、必ず成績を落とす、という所謂「週べの呪い」についても、「平均への回帰」という統計理論で鮮やかに説明してくれます。(著者はアメリカ人なので、「週べ」じゃなくって、「スポーツ・イラストレイテッド」で説明してますけど。)

データの見せ方により人を騙すテクニックや、そもそもデータ処理に誤りがあるケース、恣意的にサンプリングを行う不正の例などが紹介されている。統計の原理を知らないでデータ処理を行った際に陥る誤謬(バイアス)も多数紹介されており、興味深い。