
ある会議で、参加者の一人が残り時間を意識し、自分から話をまとめる場面がありました。
私はその人に「話を短くしてください」と言ったわけではありません。会議の冒頭で終了時刻を確認し、途中で残り時間を伝えていただけです。
もちろん、この一度の出来事だけで、組織文化が変わったとは言えません。それでも、文化が生まれる最小単位は、こういうものなのかもしれないと思いました。
「文化」という言葉で説明を終わらせない
「もっと挑戦する文化にしたい」
「若手が意見を言える風土にしたい」
「時間を大切にする組織にしたい」
方向性としては、どれも間違っていないと思います。ただ、「文化を変えよう」と言われても、今日から何をすればよいのかは、なかなか分かりません。
私は最近、組織文化を次のように捉えると扱いやすいのではないかと考えています。
組織文化とは、過去の行動と、それに返された反応の履歴である。
誰かが行動する。その行動を周囲が受け入れる、評価する、無視する、あるいは否定する。その経験から、「この場では何をすると安全か」「どう振る舞うのが合理的か」という期待が生まれます。その期待が、次の行動に影響します。
つまり、文化は過去の行動の結果であると同時に、次の行動を方向づける原因にもなります。
文化そのものを直接操作することは難しくても、その入口にある具体的な振る舞いなら観察できます。
「若手が意見を言わない」を行動に分解する
仮に、「会議で若手から意見が出ない」という問題があったとします。
これを「若手が意見を言いにくい文化がある」と表現することはできます。しかし、それだけでは打ち手が見えません。
そこで、実際の会議で何が起きているのかを見ます。
- 若手が話し始める前に、上司が結論を言っていないか
- 意見が出た直後に、「でも、それは難しい」と否定していないか
- 出された意見が、その後どう扱われたのか共有されているか
もし意見を出してもすぐ否定され、何に反映されたのかも分からないのであれば、発言しないことは本人にとって合理的な選択です。
このとき変えるべきなのは、若手の性格や意欲ではありません。まず見るべきなのは、発言が出る前後の場の振る舞いです。
発言数を目標にして「一人10件意見を出そう」とすれば、発言は増えるかもしれません。しかし、発言が増えても、意見は減るということは起こり得ます。
命令ではなく、判断材料を場に置く
私は以前、会議では終了時刻を決め、参加者全員に共有しようという記事を書きました。現在も、会議の冒頭で終了時刻を確認し、必要に応じて残り時間を伝えるようにしています。
残り時間を示すことは、誰かに話し方を命令することではありません。「あと何分あるのか」という判断材料を、全員が見える場所に置くことです。
それを見て、話をまとめる人もいれば、重要な論点なので時間を延ばすべきだと提案する人もいるでしょう。目的は、何でも短く話すことではありません。限られた時間をどう使うか、参加者が自分で選べるようにすることです。
冒頭の参加者が話をまとめた理由も、本人に確認したわけではありません。私の時間提示が原因だと断定はできません。それでも、本人を直接注意しなくても、場に置かれた情報が行動の選択に影響する可能性は感じました。
行動が文化になるまで
一度の行動変化は、まだ文化ではありません。
同じ振る舞いが繰り返される。別のメンバーにも広がる。最初に働きかけた人がいなくても続く。新しく入った人も、周囲を見て同じように振る舞う。
そこまでいったとき、外からは「この組織には、会議の時間を大切にする文化がある」ように見えるでしょう。
以前、『知能はどこから生まれるのか』という本について、私たちは相手の内側にある知能そのものではなく、環境の中に現れた振る舞いから知能を推定しているのではないか、と書きました。
組織文化も少し似ています。文化という実体を直接見ることはできません。私たちが観察できるのは、特定の場面で誰がどう振る舞い、その振る舞いに周囲がどう反応したかです。
観測可能な行動は、文化のすべてではありません。しかし、文化について考え、働きかけるための具体的な入口にはなります。
次の会議で観察すること
組織文化を変えたいと思ったら、まず次の会議で三つだけ観察してみます。
- 誰が最初に結論を言っているか
- 異論や悪い知らせに、周囲が最初にどう反応しているか
- 出された意見が、その後どう扱われているか
そして、自分が変えられる振る舞いを一つだけ選びます。
終了時刻を確認する。反対意見をすぐ評価せず、まず理由を聞く。出された意見がどう扱われたかを次回共有する。
大きな号令をかけなくても、今日からできることはあります。
組織文化を変える号令よりも、まず次の会議で一つの振る舞いを変えてみる。
文化とは、今日の小さな振る舞いが明日も選ばれるようになったとき、後からついてくる名前なのだと思います。

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