責任の取り方と無責任な立場にいることの価値

責任ってどうやって取れば良い?

先日会社を辞めた元上司(N氏と呼ぼう。星新一っぽくてよい。)と話していた際、面白い考えを聞いた。仕事において、責任を取るとはどういうことか、どうやって責任を取れば良いのか、ということについて、答えを見つけたとのこと。

その答えとはすなわち、

「責任とは責めを負うこと」と見つけたり

もし、担当する仕事がうまくいかなかったとしよう。その時は、自らがその結果について、周りからの叱責を甘んじて受ける、ということだ。もちろん、その後どう失敗をリカバーするか、真摯に対応していくことも必要だろうが、まず失敗の責めを受ける、受け止めるというところが先に立つのではないか、という話だった。

これを聞いて私もなるほどなーと感心した。私自身も仕事をしていく上で責任をとるとはどういうことか上手く言語化できないでいた所だったから尚更。

例えば政治の世界では、「責任は出処進退で示すものだ」と言われるが、ただ辞めれば責任をとったことになるとも思えない。

私の感覚では、何か事が起きた時には陣頭に立って、トラブルに対処していくこと、かなと理解していたが、その前段階として、起こってしまったことに対しての責めを引き受ける姿勢が必要というのは、今までの経験と照らし合わせても非常に納得感のある答えと思った。

確かに、「無責任な態度」の本質というのはトラブルが発生したとしても、「その方針を決めたのは自分ではない」「実際に作業したのは自分ではない」などと「責めを負うこと」から逃れようとする姿勢に表れるものだ。非常に鋭い指摘だな、と思う。

そして、N氏は言う。

「だから、責任を取ることはそんなに難しい話じゃない。何か起こった時に周りからあれこれ言われることについて覚悟しさえすれば良い。責任取れるのか?と問われた時はその覚悟だけ持って、はっきりと『責任取れます』と宣言すれば良いだけ。あなたも私もこれぐらいの年齢で仕事をしていれば責めを負う覚悟は持っているだろう?」

確かに自分の職業人生を振り返ってみればそう言うものだな、と思う。責任を取ることは楽ではないけど、特別に難しいことでは無いと認識できた。そんな対話だった。

無責任な立場だからできること

一方、「無責任」であることの本質についても、ある本を読んでいてなるほどと思うことがあった。

それは「無責任な立場の人の意見には、責任ある立場の人にとっては思いつけなかったり、わかっていても言えないことがあったりする。そういった意見を無責任な立場の人がしっかり発言していくことが、無責任な立場にいることの責任だ。」というもの。

責任ある立場の人は、すでに起きてしまったトラブルの状況の中に取り込まれてしまい、身動きが取れなくなっていたり、視野が狭くなっていることがある。そのような場合、無責任な立場の人間の視点が、責任ある人を救うこともあると思う。

自分の場合、過去を振り返っても頼まれてもいないのに勝手に責任を感じ始めて、上手く対応できなくなることもあったように思う。無責任な人間にも果たすべき役割があるのだ、と言うことであえて無責任な立場に自分をおいて発信していくことも価値がある、と気づかされたのだった。

ちなみにこの話が書いてあったのは下記の本。商売っ気の強い本ですが、無責任についての指摘は良かったなと思う。

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