職場でPdM(プロダクトマネージャー)宣言した話

プロダクトマネージャー(PdM)を集めた課

こんにちは。当ブログ管理人のkovaと申します。理科学機器メーカーでプロダクトマネージャー(以下PdM)として働いています。プロダクトマネージャーについては、下記の記事にまとめていますので、ご存知ない方はぜひご覧ください。

製造業におけるプロダクトマネージャーとは こんにちは。当ブログ管理人のkova(@KovaPlus)と申します。私は理科学機器メーカ...

さて、PdMとして働く私ですが、私の職場には、会社の各プロダクトのPdMを集めてまとめた課があります。しかし、実は社内においてもPdMと言う概念はまだ認知されていません。そのため製品の担当者がなんとなく集合している、というだけで周りから(部長など役員からも)見られています。

そういう状態だと、何でも屋さんや単なるプロジェクトマネージャーとして扱われがち。そして何より問題なのは自分たち自身が自らのキャリアをどう作っていくのか、何を目指して働けば良いのかを見失いがちになる点です。

という訳で、自分たちは一人一人「PdM」であり、このセクションはPdMを集約した課なのだ!ということで課のミッションを策定することにしました。そして先日、部署の朝礼で話す機会があったので、「PdM宣言」として一席ぶちました。今日はその内容について、これから初心を忘れずに働いていくためにも記事に残したいと思います。

PdM宣言!

以下、スピーチの内容です。(文章にする際に若干盛ってますが、概略は一緒です。)


組織を成長させ、運営していくためには目指すべき理想、ミッションが必要です。我々の課では、自分たちの使命であるミッションを策定しましたので、この場をお借りして皆様にお話ししたいと思います。

それは、我々の課はプロダクトマネージャーとして働く、という事です。

プロダクトマネージャーという言葉を初めて聞かれる方も多いと思いますので、まずその定義についてご紹介します。

プロダクトとは、その言葉通り、我々の会社で扱っている製品の事を指します。そしてマネージャーですが、一般には『管理者』と言うふうに認識されている言葉です。しかし、マネージャーの元の “manage” には、物事を『どうにかする』『なんとかする』と言うニュアンスが込められています。ここでは、このどうにかする、なんとかする、と言うところをマネージャーに対応させて、次のように定義をします。

すなわち、プロダクトマネージャーとは「製品をなんとかする人」ということになります。

で、次に問題になるのは「何とかするって一体何を?」という問題です。これには大きく分けて2つの課題があると考えます。すなわち、製品を通じて

  • ビジネス的成功
  • 社会的成功

を達成するために何とかする、これがPdMに与えられたミッションです。

ビジネス的成功とは、言うまでもないことですが、製品を通じて、売上をあげ、利益を確保することです。我々は民間企業に勤めているわけですから何をおいても、これが至上命題であることは間違いありません。どんな美辞麗句も、利益の確保ができなければ語ることすら許されないでしょう。

次に社会的成功について述べます。これは製品づくりを通じて、世の中にどのような価値をあたえ、社会に貢献していくか、ということです。我々が我々である所以、なぜ我々が必要なのか、我々はなぜ企業活動をしているのか、なぜ他社で代替できないのかと言う問いには、我々がどんな世界を望むのか、製品を通じて何を成し遂げたいのか、という社会的成功に対する哲学で以って回答とせねばなりません。

その問いに答えるのも我々の課の使命であると考えます。

次にプロダクトマネージャーによく似た言葉・役割として、「プロジェクトマネージャー:PjM」というものがあります。この二つの区別についてお話しします。

まずPdMですが、PdMの最も大事な仕事は、物事の「What」と「Why」を考えること、この問いに答えることです。それぞれの仕事や製品について何が必要なのか、それはなぜ必要なのか、ということについて考え、方針を決定していくこと。これがプロダクトマネージャーに課せられた使命です。

対してプロジェクトマネージャーはどうかと言うと、こちらが責任を持つのは個々のプロジェクトに対して、いつまでに?どうやって達成するの?という部分です。

何をやるのか、何故やるのかをPdMが決定し、PjMが実現手段と期日に責任を持つという関係です。

ただし実際にはこの二つの役割は別々の人間により分業されるのではなく、PdMの中にPJMが包含された形になっています。つまり我々は何を、何故やるべきかという問いに答えることから始まり、それをいつまでに、どうやって実現するかまでを一貫して責任を持ちやり遂げるセクションなのです。

お話しした通り我々の役割であるPdMにはプロダクトの成否に対する大きな責任があります。しかしながらこの責務は、関連する他の専門的設計、技術セクションの協力無くしては成し遂げられないものです。

どうか今までもそうであったように、これからもご協力をお願いします。そしてこれからも一緒に楽しく仕事をやりましょう。

理想を目指して

以上がスピーチの内容です。自分たちが果たすべき大きな役割について誤魔化さずに正面から宣言したつもりです。

この宣言をするにあたって、ちょっと気後れする気持ちも正直ありました。自分でプレッシャーかけすぎかな?みたいな。しかし実際この宣言を終えた後の気持ちは予想以上に爽快な気分でした。

それはなぜか?宣言するにしろ、しないにしろ、最終的には同じ責任を負って仕事をするのです。であればしっかりと宣言をし、目標を見定めて仕事をした方が前向きな気分で仕事は出来るからだと思います。(退路を断つとも言う。)

後もう一つ、このような言説はあまりにも理想を語りすぎていて青臭いものとして捉えられてしまうかもしれない、という思いもありました。

まぁそこは他人がどう思うかは自分とは本質的には関係ないことですから、どうでも良いのですが。

しかしそれでも、そんな事が気になる時にはこの本の一節が力になってくれます。

「土方さんは、存外無邪気であられる」  子供っぽい、と吐きすてたかったのだろう。そのかわり、山南は頬にあらわな嘲笑をうかべた。  歳三は、その頬をじっと見つめている。かつて、芹沢鴨と「士道論議」をしたとき、芹沢の頬にうかんだのと同質の嘲笑が、山南の頬にはりついている。  ──百姓あがりめが。  事実、山南はそんな気持だった。しかし、歳三の心底にも叫びだしたいものがある。理想とは、本来子供っぽいものではないか。

「燃えよ剣」司馬遼太郎

燃えよ剣(上) (新潮文庫)

新撰組の副長、土方歳三が総長の山南敬助と武士道について議論するシーンです。学問のある山南に対して百姓上がりの土方は弁が立たず、子供っぽいと嘲笑されます。

しかし、それでも「理想とは、子どもっぽいものではないか」と食らいつく。我々も歳三流のその意気でやっていきたいと思います。

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