グータッチとアフターコロナ:環境への順応性

保育園の卒園式にて

私の次女は今6歳。先月にて保育園を卒園し、4月から小学生になった。本来であれば上の子と同じように卒園式を行い、入学式を経て小学校生活が始まるはずだったが、未だ小学校開始の目処は立っていない。2020年1月から続くコロナウイルス(COVID-19)の感染拡大のためだ。

次女の場合、3月は保育園の卒園時期。ちょうどコロナが重なり、様々な行事、卒園遠足などが中止、もしくは縮小を余儀なくされた。そういった状況の中、卒園式に関しては規模を大幅に小さくしながらも何とか開催はしていただいた。

卒園式は、季節外れの雪の日に行われた。凍える寒さの中、園庭にて。ビデオカメラを構える手の指が冷え切って痛かったのを憶えている。保護者もマスク着用。開始前には全員がアルコールで手を消毒。

ウイルス対策が徹底される中、式は執り行われていく。園長先生から記念品の授与、の段になった。記念品は毎年決まっていて卒園児自らが蚕の繭玉で作ったネックレス。ネックレスを貰ったあとは先生と園児が握手し、先生が手が痛そうなリアクションをとっておどける所までが例年の定番の流れである。

しかし今年は握手は無かった。そのかわりにグータッチ。濃厚接触を避ける狙いであろう。それを見たとき、私は直感した。これがこれから迎える時代の日常であり常識であり、わきまえるべき作法、マナーになるにだと。

保育園では親御さんから大切な子供を預かる責任がある。今、特にコロナウイルスの流行の問題があるため、今までの常識から見れば厳重な対策、入念な配慮を行なっているように現時点の我々からは見える。

しかしこの先流行が下火になろうとも万が一のリスクを避けるためには、一旦始めた対応を簡単には取りやめられないだろう。もちろん全ての感染対策を常時続けることは困難であるため、一部は簡略化、省略化されるかもしれない。しかしウイルスの流行に対して備えなければならないというこの意識の変化は不可逆なものであり、もう元には戻れないのだ。

アフターコロナ:日常は戻るのか?

この件、家に帰ってから嫁とも話してみた。嫁も私の感じた違和をよく理解してくれて、次のように語った。

“早く元の日常に戻って欲しい”と言う人がいるけれど、今の状況を少しマイルドにしたものが、これからの日常になる。もう“元の日常”は帰ってこない。そのことを嘆くのではなく、早く個人も組織も新しい時代に適応する必要がある、と。

ちょうど次女の世代は卒園関連のイベントが軒並み中止、縮小になり、親としては残念に思う気持ちもあった。次女はタイミングが悪くてツイテないな、と。

しかし4月に入っても収束の目処が立たない現状を見ると、その認識は甘いのかもしれない。本当に残念な思いをするのは、これから一年間年長の学年を過ごす在園児と言うことはあるまいか?これから一年間どんな保育が可能なのだろう。終わりの部分だけかぶってしまった次女はまだ幸運だったのかもしれない。

環境への順応性を測る試金石

と言う事で、このコロナウイルスを経験後、人類の歴史は新たなステージに入る。

下記の記事にも書いてあるが、コロナウイルスのパンデミックにより生じたこれらの変化は不可逆であり、今後は大勢の人が集まるイベントの開催は難しくなると予想される。

We’re not going back to normal 「新型コロナ後」の世界はどう変化するか?

人々の暮らし方、働き方も変わらざるを得なくなり、新しいサービスやビジネスが登場してくるだろう。この時代は我々にとって、大きな変化に対してどれだけ上手く順応できるかという試金石になるのかもしれない。個人にとっても、組織にとっても。

私の職場でもようやくテレワークの準備が始まったようだが、この状況にどれだけ早く対応できるか、は単なる一過性の問題でなく組織の順応性を測るちょうど良いベンチマークのように私には思えてならない。

逆にピンチはチャンス。これは絶好の機会にもなる。しかし、今のところ、会社の対応からはいまいち危機感が感じられない点は気がかりである。

それでも地球は回るよ

そんなあれこれを考えていたこの週末。天気がよくとても穏やかな日だったので、暇を持て余した小学生を連れてサイクリングに出かけた。

外は春爛漫といった陽気で、まだ桜も綺麗に残っていた。

家の中で悶々と考えていてばかりの自分にとってはとても良い気分転換であった。この数ヶ月間、人間は大騒ぎをしているけれど、そんなことお構いなしに星々は運行し、季節も巡っていく。荘子の教えを彷彿とさせるまでの相模の自然の素晴らしさに、しばしの癒しを得た。

まだ感染の拡大はつづき、医療関係者を中心にさらに厳しい局面に入るだろう。その戦いは本当に長期戦になり私たちの暮らし方をも恒久的に変えることになるはず。

ならばこちらはそんな世界で力強く生きてやろう。そして我が子らも未知の世界を生き抜く力を持ってたくましく生きてもらおう。