「技術は人なり」

技術は人なり

文学でも美術でも、その作品の優秀性を決定する要素に作者の構想が、多分に盛られるものです。しかしながら科学や披術では、すべてが一元的に決定され、設計者や研究者の構想をいれる余地がないように思われがちであります。

しかし実際はそうではなくて、やはり技術者の構想を要するところが多いのであります。なるほど技術は自然界の法則に支配され、因果の関係の明らかな科学を基としているのですが、技術は総合的なもので、決して単純なものではありません。

「「技術は人なり」ということ」 https://www.dendai.ac.jp/about/tdu/history/niwa_yasujiro.html

「技術は人なり」とは、東京電機大学の初代学長、丹羽保次郎氏が残された言葉だ。(東京電機大学HP)

これは一体どう言う意味か。例えば、文学や美術等の世界では作品に制作者の人格が投影されている、と言うのが一般的に理解されているところだ。

一方で、技術、例えば工業製品においてはどうだろうか。技術の世界において、根幹を貫くのは自然界の物理法則であり、それを応用されて作られる工業製品には、制作者の創造性が反映される余地はない、と考えられがちかもしれない。

しかし、それは誤解なのである。確かに動かすことのできない、物理法則や技術的制約があるにしても、製品を成立させるのはそれだけではない。そこに開発者や製作者の人格が投影され、製品の品質を左右すらするのである。

例えば、スペックシート上は同等の性能の製品があったとしても、使い勝手や、性能、品質の安定性、故障の有無などに大きな差があったりするものだ。それは開発者や製作者の価値観、つまり製品の個々の特徴に対して、何を重視しどこまで作りこむか、と言う主義や思想に基づくところが大きいのである。

技術の世界においても、人格が成果物に投影される。技術者たるもの、専門の技術領域のみならず、まず人間的にも成長、成熟しなければならないのである。

また、法人・組織も一種の人格であり、社是やミッション、企業文化、風土と言った固有の主義、思想を持つ。それらも当然プロダクトに有形であれ、無形であれ投影、反映されるのである。

機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORYに登場する、アナベル・ガトーはジオン軍に所属する軍人で、主人公コウ・ウラキのライバルとして死闘を繰り広げる相手だ。その彼の最後の乗機は大型MA「ノイエ・ジール」。その姿をはじめて目にした時、彼はこう語った。

ジオンの精神が形になったようだ。

アナベル・ガトー 「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」

そう、組織の精神がプロダクトに反映されるのだ。だから、人も組織も根幹の精神が大事と思う。「襤褸を着てても心は錦」という言葉がある。外見ではなく内面が大事ということだ。外見はどうでも良いということではないが、内面を磨くことがより大事と言えるのではないだろうか。

社会の中の人

組織や人の精神が投影されて製品が形作られる。全ての元になるのは人である。

人が物事の本質というのは、最近強く感じるところである。

自分が人として生まれた以上、社会に組み込まれて生きていくことになる。世捨て人になろうと思って人里離れた山に籠っても社会からは逃れられない。そもそも自分自身が世に生まれる時点で、最小限の社会である、両親-自分を含んでしまうからである。社会は人と人の関係性そのものである。人が人である以上、ここからは逃れられない。

技術もまた社会の中の一部分として位置づけられる。他者抜きで技術は成立しない。誰のための?という点で必ず他者を必要とする。

この世から自分以外の人間が全ていなくなったら、「仕事」の意味は失われる。自給自足のための労働というのは存在しうるだろうが、それにしても人がいる時といない時とで、その意味は異なるだろう。

自己満足で行ったことは仕事にならない、というのはその通りで他者の存在を意識せずに行われた仕事に価値はないのである。仕事の価値は他者が評価するものだから。例えば、蟻やカラスにとって意味のある仕事、というものを行ったとしても人にとっての意味を持たなければ、人からは評価されないだろう。

だから、他人に対してどのような意味をもち、どのように認識されるか、という点は意識しておかねばならない。本質は常に人の世界認識であり、理屈ではない感情である。