
先日、あるベンチャー経営者とお話しする機会があった。年齢は私より数歳上くらいの方だった。
そのベンチャーはVCから何億円も調達していて、これからサービスをどんどん伸ばそうとしている、業界でも注目され期待されている会社だった。メディアでも度々取り上げられ、華やかな成長ストーリーが語られている。
しかし、直接経営者とお話しすると、表の華やかなプレスリリースの裏には想像を絶する苦労があることを知った。資金調達の重圧、人材確保の困難、市場開拓の厳しさ、そして何より毎日のように下される重要な意思決定の連続。一つ間違えば会社の未来が変わってしまうような場面に日々直面されているのだ。特に資金調達については、華々しい調達事例の陰に何十回もの失敗があり、気が狂いそうな日々があったことを知った。
それでもその方は、とてもエネルギッシュで明るくて前向きで、本当に素敵な方だった。困難な状況を語りながらも、目は輝いていて、未来への希望に満ちていた。
私は疑問に思って聞いた。「そのエネルギーや事業に対する熱意は、一体どこから出てくるのですか?」
ベンチャー経営者にする質問としては愚問だし、もしかすると失礼かもしれない。でも、どうしても聞いてみたくなったのだった。その源泉を知りたかった。
心に響いた言葉
いただいた回答は、シンプルでありながら深いものだった。
「死ぬ時に何も後悔したくない。あれをやっておけばよかった、これを試しておきたかった、とならないようにやっています。」
なるほど、と思った。確かにその通りかもしれない。
そして、その次の言葉がとても素晴らしかった。
「もし生まれ変わってももう一度この人生を生きたい、そう思えるように生きていたい」と。
この瞬間、私の頭に浮かんだのはニーチェの永劫回帰思想のことだった。
永劫回帰という生き方
ニーチェは有限の要素から構成される宇宙が無限の時間繰り返すのであれば、いつかは宇宙の状態が今と全く同じ状態を再現し、何度でも自分という人間がこの人生を繰り返すことになる、という永劫回帰という思想を持っていた。
その中で彼は、「今この瞬間を無限回愛せるか?」という根源的な問いを私たちに投げかけた哲学者だった。もしも同じ人生を永遠に繰り返すとしたら、その人生を心から愛せるか。苦しみも含めて、すべてを肯定できるか。
目の前にいるベンチャー経営者は、その永劫回帰思想をこんなにもナチュラルに、そして力強く実践されて生きている人だった。そのエネルギーを目の当たりにして、私は強烈な刺激を受けた。
知識から実践へ
自分は永劫回帰の思想を知っていた。ニーチェの「ツァラトゥストラ」は読んだし関連する解説本も何冊か読んだことがある。でも、それは単なる知識として持っていただけだった。頭で理解していても、それを自らの血肉として実践することはできていなかった。
それを自らの人生哲学として体現し、日々の困難な経営判断の中でも貫き通している人を目の前にして、思想の真の意味が身近で具体的なものとして体得できた気がした。
哲学は机上の空論ではない。生き方そのものなのだ。
自分なりの永劫回帰
私はベンチャー経営者になりたいわけでもないし、話してくださった社長と同じ人生を歩みたいわけでもない。それぞれに与えられた環境や才能、使命は違うだろう。
でも、あんな風に生きることは本当に素敵だと思う。どんな困難に直面しても、「生まれ変わったとしても、もう一度この人生を生きたい」と心から思える人生を送りたい。
そのためには何が必要だろうか。おそらく、日々の小さな選択から始まるのだろう。今日という日を、今この瞬間を、後悔のないように生きること。そして、自分が本当に大切だと思うことに時間とエネルギーを注ぐこと。
その経営者との出会いは、私にとって人生を見つめ直すきっかけとなった。そして今日も、「もう一度生きたい人生」を創るために、一歩ずつ歩んでいこうと思う。


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