狭間を生きる「あいのこ」の感覚 ―『寄生獣』に見る企業内診断士の心理―

※本記事には漫画「寄生獣」の内容に関するネタバレが含まれます。

漫画『寄生獣』は傑作だ。岩明均が描いた人間とパラサイト(寄生生物)との対比は、捉え方によって様々な視点をもたらす。なにも寄生生物に支配されなくても、人は様々なコミュニティで様々な価値観に触れ、様々な役割をある種演じて生きるもの。その時に例えば私のように会社員として企業に勤務しながら、個人事業主として中小企業診断士として開業している企業内診断士は、新一/ミギーと似た「あいのこ」、狭間に生きるものの感覚を味わって生きると言える。

従業員的価値観と経営者的価値観の狭間で

物語の序盤、新一は人間としての「社会倫理的規範」と、ミギーの持つ生存を最優先する「生物的・経済的規範」の狭間で激しく苦悩する。これは現代の副業従事者が直面する価値観の対立そのものではないだろうか。

新一(従業員的価値観)は、人間社会のルールや倫理観、他者への共感といった「社会倫理的規範」を重視する。これは組織の一員として全体の調和やルールを重んじる「従業員的価値観」に例えることができる。彼はパラサイトを「悪」と断じ、人間を守ろうとする。

一方、ミギー(経営者的価値観)は、自身の生存という目的のためには効率と合理性を最優先する。これは利益(生存)を最大化するために時に冷徹な判断も辞さない「経営者的価値観」や「経済的規範」と通じる。他のパラサイトを殺すのも、あくまで自身への脅威を排除するためであり、そこに善悪の概念はない。

この二つの価値観は当初、新一の中で激しく対立する。しかし戦いを通して新一はミギーの合理性を受け入れざるを得なくなり、ミギーもまた新一の「心」や人間社会の複雑さを学習していく。この過程は、二つの異なる規範を内包した「あいのこ」として新たな価値観を構築していく姿そのものだ。

明かせない秘密を抱える孤独感

新一がパラサイトであるミギーの存在を誰にも明かせず、孤独を深めていく姿は、他者には理解されにくい二つのアイデンティティを抱えて生きる者の葛藤そのものである。

従業員としての自分は、組織の論理や安定、チーム内での調和を重んじる。経営者(中小企業診断士)としての自分は、リスクを取り、利益を追求し、時には非情な判断さえ求められる世界の論理で思考する。

この二つの価値観は時に相反する。会議室で従業員として上司の話を聞きながら、頭の片隅では経営者として「その判断はコストパフォーマンスが悪い」「市場のニーズとずれている」と分析してしまう。クライアントに経営指導をしながら、その施策が現場の従業員に与えるであろう疲弊を肌感覚で理解してしまう。

これはまさに、人間の倫理観とパラサイトの生存本能の間で揺れ動く新一の姿と重なる。「他の誰にも言えない秘密」を抱え、どちらのコミュニティにも100%は染まりきれない、ある種の疎外感。それは「あいのこ」であり、「狭間に生きる者」特有の感覚だ。

複数のアイデンティティを持つ人は、それぞれのコミュニティで全てを開示できない複雑さを抱えている。企業では診断士としての独立性を、クライアントには企業人としての制約を、完全には語れない部分がある。他者から理解しづらい属性。ともすれば忌避の対象となりうる存在なのだ。

強制的な共存から真の統合へ

ミギーが新一の心臓を動かすシーンは、二つの存在が「生きる」という根源的な目的のために、否応なく融合させられた瞬間である。副業を始めた当初、本業と両立するために無理やり自分を奮い立たせる、いわば強制的な共存の始まりと似ている。

そしてミギーとの離別と再会(真に新一の一部になる)。最終的にミギーは新一の右腕という独立した意識体ではなく、新一の細胞レベル、思考のレベルで完全に一体化する。これは、もはや「従業員の自分」と「経営者の自分」を意識的に切り替える(ワークライフバランス)のではなく、全ての経験と価値観が自分の中で渾然一体となり、一人の人間としての深みを形作っていく「インテグレーション(統合)」の境地である。

ミギーは最終的に「眠りにつく」が、彼の存在は消えたのではなく”新一の一部”として残った。自分の中にある多様な役割・視点もまた、最終的には「違いのまま受け入れて」こそ、真に自分のものになる。「あいのこ」であることを恐れずに、むしろ誇りに。

ワークライフバランスからワークライフインテグレーションへ

これからの時代は、副業と本業を分離するのではなく、統合していく方向に向かうのではないだろうか。全てはありのままの自分の中の属性として統合して生きる。それが『寄生獣』が教えてくれる、現代を生きる知恵なのかもしれない。

「あいのこ」としての現代人

「あいのこ」としての現代人という側面は興味深い。グローバル化や情報化が進んだ現代社会では、誰もが複数のコミュニティに属し、様々な価値観に触れながら生きている。それはまさに、新一が人間社会とパラサイトの論理の狭間で生きたような、「あいのこ」の状態と言えるかもしれない。本業と副業、リアルとオンライン、伝統と革新。私たちは常にそうした「狭間」でバランスを取りながら、自分なりの生き方を探ることを求められている。

『寄生獣』は、異種生命との共存という極端な設定を通して、私たち自身の内なる「狭間」での葛藤と、他者と関わりながら自己を形成していく普遍的なプロセスを描き出した傑作と言える。新一とミギーの物語は、価値観が多様化し、複雑化する現代を生きる私たちにとって、大きな示唆を与えてくれる。

この視点から見ると、『寄生獣』は単なるSFホラーを超えて、現代社会で複数のアイデンティティを生きる人々の心理的体験を先取りしていた作品なのだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました