書評「ファクトフルネス」ハンス・ロスリング著

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

事実に基づいた世界の見方を広め、人々の世界にまつわる圧倒的な知識不足をなくそう

本書のタイトルである、「ファクトフルネス:Factfulness」とは、著者のハンス・ロスリング氏の造語である。ハンス氏は医師として、世界の公衆衛生の向上に尽力された方だ。人々が世界を認識する際に、思い込みによって事実と異なるイメージを持っていることに気づいたハンス氏。10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣、をファクトフルネスと名付け、一冊の本にまとめあげた。それが本書である。

ファクトフルネス(Factfullness)とは?

本書はまず、世界の現状に対する13の問いかけから始まる。ここではそのうちの一つを紹介しよう。

質問3:世界の人口のうち 、極度の貧困にある人の割合は 、過去 2 0年でどう変わったでしょう ?

A:約2倍になった
B:あまり変わっていない
C:半分になった

正解はCの半分になった、(20億人→10億人に半減)である。意外に感じただろうか。ちなみに私は、Bのあまり変わっていない、かと思っていた。

この問題は3択問題であるため、確率的には1/3の確率で正解するはずである。たとえチンパンジーにこの問題を解かせても十分な試行回数行えば、正答率は33%になるのだ。

しかし、この問題を様々な人に対して出題し、正答率を調べたところ、33%をはるかに下回るたった7%だったそうだ。

本書では、このような認識の誤りがどのような理由によって生じているかについて、解説している。また、そのような誤謬を解き、妥当な物の見方ができるようになる方法について説いている。いくつかのキーワードを下記に挙げておこう。

分断本能:「先進国」vs「発展途上国」のような2項対立的な単純化した物の見方。それにより、世界は両極端に二極化しているという思い込み。実際は両極の間に広く中間層が存在し、連続的な分布があることを知らない。

ドラマチックすぎる世界の味方:悲観的なニュースは、人々の注意を引きやすくニュースとしての価値が高いため、多く報道される。事実とは異なる悲観的な世界像を人々は想像しやすい。

上から見ている人の目線:本書を読んでいる人は、経済的に発展し教育水準の高い人である。そのような人の立場から見ると、経済的に発展途上の国々は一律に劣悪な環境のように見えてしまう。しかし実際は、「発展途上」と一括りにされる中にも様々な段階がある。例えば、高層ビルの上から下の街並みを見下ろすとき、1階建の住居も、2階建の住居もほぼ同じ家に見えるように、上から見下ろす視点では細かな差に気づくことができない。

「悪い」と「良くなっている」は両立する

例えば、上記の問いにおいて、極度の貧困状態の人は20億人から10億人に半減したとはいえ、それでも10億人が極度の貧困の状態にいるじゃないか、それは悪いことではないか、と思われる方もいらっしゃるだろう。確かに未だに10億人の人たちが極度の貧困状態にいるのは、事実だしそれは全くもって悪いことである。

しかし、そこでファクトフルネス はこう教えてくれる。

「現状が悪い」ことと、過去に比べ「良くなっている」ことは両立する概念だと。現状が悪いことは、確かに問題であり是正が必要である。しかし過去に比べて改善されてきたこともまた事実である。「良くなっている」から現状を是認していいわけではもちろんないが、しかし良くなってきたその「事実」は事実としてしっかりと認めるべきなのだ。

感情的に「現状が悪い」とばかり嘆くのではなく、過去から現状までのデータを冷静に見据えてみる。その上で今後どのような手段を取るべきか、どのような計画を検討するべきかが初めて見えてくるのだ。

悪いと良くなっているは両立する。これもファクトフルネスの一つの真髄と言えるであろう。

ファクトフルネスは21世紀のイドラ論?

ファクトフルネス は、感情的な誤謬を退け、データに基づいた客観的な現実認識をしよう、という主張である。この本を読んで思い出したのが、16、17世紀の英国の哲学者、フランシス・ベーコンのイドラ論である。

ベーコンは、人間が、世界を正しく認識できず、誤りを導いてしまうケースには、どのようなパターンがあるのかを検討し、下記の4つの「イドラ」を提示した。

  • 市場のイドラ:伝聞によるイドラ 言葉の不適切な使用によって生じるイドラ。噂や伝聞を真実と信じ込んでしまうことによる。
  • 種族のイドラ:自然性質によるイドラ 錯覚のこと。人間の身体的な制約によるイドラ
  • 洞窟のイドラ:個人経験によるイドラ 独善。自分自身の経験を一般化しすぎるもの。
  • 劇場のイドラ:高名な学者の主張など、権威や伝統を無批判に信じてしまうことによるイドラ。

フランシス・ベーコンは経験論(経験哲学)の祖とも言われる。経験論とは、一般化された法則から個別の結論を推論するのではなく、常に実験や観察といった「経験」からスタートするべきだということを主張する学派。データを元に世界を正しく認識しようとするファクトフルネスは非常に経験主義的な考え方だ。そういう意味では、ファクトフルネス はベーコンのイドラ論の21世紀版と言えるかもしれない。

自分で考えて生きていくために

本書では、自分で「考えず」に「感じている」だけの人がたくさんいることについて警鐘を鳴らしている。職場の会議においても、そのときの感情や気分をもとにデータも無しに発言する方がたくさんいるが、それを見るたびにうんざりしてしまう。

条件反射で涎をたらすパブロフの犬状態から抜け出し、データを元に自分で考えるために、まずは「ファクトフルネス」を読むことが必要だ。

さて、本書に書かれているように、データをありのままに正確に理解することは大事である。しかし現実はデータをどのようにまとめるか、という段階において、すでに人の誤謬が入ることがある。というか、データをまとめるという作業において、ある立場から見てまとめることになるため、誤謬と言わずとも多かれ少なかれバイアス(視点の偏り)からは逃れられない。

この問題は、本書の対象範疇を超えている。しかし、これらにどう対処するか。つまり信頼できるデータにどうアクセスするか、どのデータを信頼するか。は重要な課題である。ここで、かの団体、あるいはかの個人の発表するデータは操作されたデータであり、信頼に値しない、というレッテルを貼ってしまえば、どんなデータも解釈することすら能わない。

しかし信頼する、しないはつまるところこちらの自分の問題である。誰かが信頼を保証してくれるのではなく「自分が」どのデータを「信頼する」かどうかの問題である。それはつまり自分が納得できる審美眼を持つということだ。

またどのような人間の視点もバイアスの影響から逃れられない、自分自身も完全にフラットな視点など持つことはできない、ということを踏まえておくことも重要だ。自分自身の認識も完全でないことを理解すれば、それを補うために他者の意見も、たとえそれが耳に痛い意見であったりしても、耳を傾け対話する姿勢を取ることができるようになるはずだ。