書評:認知症の人の心の中はどうなっているのか?

認知症の人の心の中はどうなっているのか? (光文社新書)

著者の佐藤眞一氏は、認知症などの老年行動学を専門とする心理学者。

本書の主張は下記の通りである。すなわち認知症の現時点で認知症を完全に直す薬も対策もない。だけれども周りにいる人が、認知症を発症した方の心の中、感じ方を理解してコミュニケーションを図ることで、少しでも豊かに暮らすことができる、ということ。非常に感銘を受けた。身近に認知症の方がいらしたり、介護されている方はもちろん、普段接する機会がない方も読むべき一冊ではないだろうか。

コミュニケーションを基礎とした認知症の診断

先に、筆者が認知症のケアにおいてコミュニケーションを重視していることを述べたが、その姿勢は、筆者が提案する認知症の判定手法「CANDy」( Conversational Assesment do Neurocognitive Dysfunction)に端的に現れている。

従来の認知症の判定は、記憶力の確認や計算能力の確認を、「問題を解いてもらいその点数で判定する」という方式であった。しかしその手法においては、対象となる患者の側の抵抗が強いという問題があった。

自分がそれをされたときの気持ちを想像してみればわかる。今までの人生を苦労を重ねながら、しっかりと生き抜いてきたのに、ある日記憶力や計算能力のテストを受けて、認知症であると若い医師から診断されてしまう。自分のプライドはズタズタにされてしまう。

実際、現場においてもその診断結果を受け入れられない方が多いそうだが、その気持ちも十分わかる。また医師の側も、自分の宣告により苦しむ患者を見るストレスもあるそうだ。

それに対して、「CANDy」では患者との日常会話の中から、認知症患者に特有の言動に着目して評価する。患者においては従来手法のように「自分の能力を試されている」という感覚はなく、負担なく実施できる。また、従来評価されてきたのが、記憶や計算と言った部分に特化していたのに対し、CANDyでは、日常会話という社会生活を送る上で一番の基礎となる部分を通じ、社会的な認知能力を特に重視している点が特徴的だ。

CANDyでは、例えば下記のような点を評価項目として評価していく。

  • 会話中に同じことを繰り返し、質問してくる。
  • 質問に対して、あいまいにごまかしたりする。
  • 会話の内容が漠然としていて具体性がない。
  • 今の時刻や日付、季節が分かっていない。
  • 先の予定がわからない。

このような内容を会話を通じて評価していく。認知症における問題は、記憶力や計算能力の低下だけでなく、日常生活を送るにあたって、他人の気持ちを推測する、「社会的認知」能力の低下もまた大きな問題であるとする、筆者の思想が現れた評価方法である。

認知症の人の心の中はどうなっているのか

私たちが普段当たり前のように暮らしている世界は、ありのままの世界ではない。それは、我々個々の脳が認識し作り出した世界だ。我々が認知症になれば、この脳の機能が変容していく。これはすなわち、自分の生きている世界の様相が変容していくことだ。しかもその変化を自分で認識できないとしたらどうだろう。

認知症の発症とともに、さまざまな障がいが起きる。

  • 記憶障がい
  • 見当識障がい
  • 失語(言語障害)
  • 抑うつ 無気力
  • 妄想幻覚(幻視)
  • 徘徊
  • 暴言・暴力
  • 拒食、過食
  • 性的逸脱
  • などなど

認知症が進行すれば、患者の方の生きる世界は、自分がどこにいて、何をしようとしていたのか、ここがどこかもわからない。周りの人も誰も知っている人がいない。

実際どんな感覚なのかということで、例が挙げられているので紹介したい。ストループ効果というものである。

図:「認知症の人の心の中はどうなっているのか?」佐藤眞一著 (光文社新書)より引用

さまざまな色を使って、色名の漢字が書かれている。この図を見て、順番に漢字を見ながら何色で漢字が書かれているか、声に出して言ってみよう。頭がこんがらかってとてもスラスラは言えず、もどかしくなる。

筆者によれば、認知機能が低下した状態とは、この頭がこんがらかった感じに似ているそうだ。認知症が進行していくにつれ、生活の中のすべての場面が上の「ストループ」のようにぐちゃぐちゃになってしまうのだ。認知症の方が心の中を具体的に推察するための優れた例だ。

当たり前の思いやりを大切に

本書の終わりの方で、こんなエピソードが挙げられている。

筆者が病気で入院したあと、退院し帰宅していたとき、まだ体調が万全でないため自分の荷物をすべて奥様にもってもらっていたそうだ。そのとき、自分の姿をもし他人が見たら、「あのご主人は、荷物をすべて奥さんに持たせているヒドイご主人」だと思われるかな、と思ったそうだ。そこで筆者はふと気がついた。

「自分ならこうするとか、これが当たり前だと思うことと違うことが起こっているときは、何か事情があるんだな」と思ったのです。」
世の中には、明らかに具合が悪いとか障がいがあると、見てわかる人もいます。けれども見ただけではわからない人もいます。そのときの私もそうでした。認知症の人も、多くの場合、パッと見ただけでは健常者に見えます。しかし、健常者が“当たり前”と思っていることが、じつはできなかったりします。しかも、社会的認知が低下すると、人の心を推察することが難しくなり、「おかしな人」と思われてしまったりします。
 そんなとき、「おかしな人だな」と思ったあとで、「当たり前でないことが起こっているは、何か事情があるんだな」と、思って見て欲しいのです。それが、認知症の人の苦しみを共有する第一歩です。

「認知症の人の心の中はどうなっているのか?」佐藤眞一


周囲でおかしいと思う人を見たとき、その背景を考えてあげること。すごく大切なことだ。

だけど、他人の心情や事情をよく考えて行動すること、それって当たり前のことのはず。それが認知症に対して殊更に取り上げられるのは、取り上げられなくてはならないのはなんでだろう。今までの認知症患者に対して、周囲がいかに無理解であり、差別的に接してきたかということではないか。

「他人」に対して当たり前に行われるべきことが、行われてこなかったのであればそれは、認知症の患者は半分くらい人ではなく扱われてきたということではないだろうか。

ところで、私は認知症の方と身近に暮らしているわけでもない。介護の経験があるわけでもない人間である。言うは易し、行うは難し。実際に毎日介護を続けている人にとって、認知症の方と接することは非常につらいことなんだと思う。綺麗事が言えるのは他人事だからなんだとも思う。

自分の祖母も晩年は認知症が起きていた。帰省して挨拶した時、孫の私のことが誰だか全くわからなくなっていたのを覚えている。両親は自宅で介護をしていた。父親も母親も真摯に介護をしていたのを記憶しているが、それでもかなり辛そうだった。排便に失敗した時などは声を荒げることもあった。

自分もいつか、そうやって両親の面倒を見るときもくるだろう。そして自分もまた誰かの厄介になる日も来るかもしれない。そんなときはこの本に書いてあることが支えになってくれると思う。

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「職場でも自宅でも。介護に役立つ本レビューまとめ」きらッコノート

https://job.kiracare.jp/note/article/6177/


認知症を患った方の気持ちを汲み取り、辛さや不安に寄り添えるような介護をするヒントとなる書籍のレビューを見つけました!
ブログ『無辺光』の中にある《書評:認知症の人の心の中はどうなっているのか?》という記事です。

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伊藤亜紗さんの、「目の見えない人は世界をどう見ているのか」は視覚障害者:目の見えない人 の方がどのように世界を認識し、世界観を作り上げているか、という内容を紹介した良著。認知症と、目の見えない人、どちらもいわゆる通常の人とは身体的な面で違いがあり、その違いにより世界観が変わってくる、と言う意味ではあい通じるところ有り。

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」は、目の見えない人がどのように世界を認識し、世界観を作り出しているかについて調査・考察した本だ。 晴眼者であることを当然として生活している自分たちの認識を相対化し、解体してくれる一冊だ。