ナノインデンテーション試験とは?基礎と原理 超微小押し込み硬さ

はじめに

ナノインデンテーション法(他、計装化押し込み試験、超微小押し込み硬さ 等:以下、NI法と略)はこれから広く使われる硬さ試験法になるでしょう。しかし、「硬さ試験」や「NI法」についてはあまりご存知ではない方も多いのではないでしょうか。

この記事では始めて硬さやNI法に触れる方に向けて、そもそも硬さとはなにか、ということからはじめて、NI法の原理、注意する点について紹介します。

硬さとは何か?

 「硬さ」は誰でも知っている言葉です。しかし、物が硬い、やわらかいということは日常的にもよく経験する事でありながら、これを物理的に厳密に定義する事は困難です。

これは、硬さが物理量ではなく、工業量であることに由来します。こう書くと難しそうですが、順に説明します。物理量とは、長さ、質量、時間といった量です。例えば「長さ」であれば:2点間の空間的隔たりの大きさ といった厳密な定義が可能です。しかし硬さは厳密な定義ができません。硬さは決められた方法・手順に則って測ることで与えられる量です。値について定義する際に、「どの手法によって測るかということが先立つ」のです。これが工業量としての「硬さ」の本質です。

一般に工学上の硬さの定義は、「物体の硬さとは、それが他の物体によって変形を与えられようとするときに示す抵抗の大小を表す尺度である」のようにされています。

この表現は非常に曖昧としており、いろいろな解釈ができます。実際硬さと一口に言ってもその中には、その物体の弾性定数、ポアソン比、降伏点、破断強さと言った様々な特性を含んでいます。

よって、「硬さ」のどの部分に着目するかによって、様々な試験法が考案・実用されてきました。複雑な内容を持つ硬さは、むしろその試験法によって定義されているという状態です。

こういった曖昧さを持つ「硬さ」ですので、硬さを求める際には「測定」ではなく「試験」という用語を用いるべきだという方もいます。例えばペーパーテストにおける試験にたとえてみれば分かりやすいでしょう。

ある試験の結果は、個人の絶対的な能力を評価するものではありません。試験の内容が変われば点数も変わりますし、個人の持つ特性のうち何を評価したいかによって試験の方法は変わるでしょう。このような試験の結果は、個人のもつある一面を切り取って評価するに過ぎませんが、相対的な評価には十分役に立つと言えます。

硬さも材料の様々な特性を評価するために多様な試験法が提案されています。それぞれの硬さ値はそれぞれ違う尺度を持ち、別の試験法同士の比較はできませんが、それぞれその試験結果同士を比べることで世の中の役に立っているのです。

硬さはなぜ測るの?

 そんな曖昧とした硬さですが、硬さをなぜ測るのでしょうか。意外かもしれませんが、実は通常は硬さを測るだけでは役に立ちません。硬さと相関関係がある、その材料の特性を調べておき、その関係をもとに硬さを活用します。たとえば有名なのは、硬さと引っ張り強さの関係です。図1の例では各種鋼材の硬さと引っ張り強さとの間に、正の相関があることを示した例です。

( 画像は下記URLより  株式会社 不二越
http://www.nachi-fujikoshi.co.jp/tec/pdf/07d2.pdf )

通常、引っ張り強さを調べるためには、サンプルが破断するまで力を加える必要がありますが、硬さであれば、ほぼ非破壊で試験ができます。よって硬さを調べれば非破壊で引っ張り強さの評価を代替できる点が硬さ試験の利点となります。

トライボロジー分野でいえば、硬さ値を調べる事で、対磨耗性や密着性の評価を行うという例を多く目にします。

これから硬さ試験を行う方は硬さを測ってどのように使うか、考えておく必要があるでしょう。

押し込み硬さ試験

多様な硬さ試験法がある中で、押し込み硬さ試験はもっとも、普及した有名な方法と言えるでしょう。これはダイヤモンド等の硬い材質で作られた圧子を、所定の荷重を加えて材料に「押し込み」、材料にのこった圧子の痕:圧痕 の大きさを顕微鏡で測って硬さをもとめる試験です。(他に、押し込み硬さには、ロックウェル硬さ試験のように押し込み深さを測る方式もあります。興味のあるかたは調べてみてください。)例として、図2にビッカース硬さの模式図を示します。

図2 ビッカース硬さ試験

この場合、硬さは次式の形で示します。

ここで、H:硬さ、F:試験力、A:圧痕の投影面積。

つまり、同じ試験荷重で押したときに、サンプルにのこった圧痕が小さいほど硬く、大きいほど柔らかい、ということになります。

圧痕は材料の永久変形であり、塑性変形です。押し込み硬さ試験では圧痕を評価するものは材料の外力に対する「塑性変形」を起こすための抵抗を評価することを目的としています。

押し込みビッカース試験では四角錘の圧子を使います。試験荷重は10gf~1kgf程度で圧痕の大きさは対角5μm~1mm程度、押し込み深さで、1μm~150μm程度のものです。

NI法の基礎

ビッカース試験は、ほぼ非破壊でサンプルの硬さを測ることのできる試験法ですが、顕微鏡で圧痕を観察する必要があることから以下のような課題があります。

例えば近年ではDLC等の様々な機能を持つ薄膜が用いられますが、膜厚が数μm程度以下になると、ビッカース試験では押し込み深さが深すぎて、圧子が下地まで到達してしまい評価ができません。またゴムやポリマー(樹脂材料)等の弾性変形が大きい材料に対しては、塑性変形が少なく圧痕が残らないので妥当な評価ができません。そこで登場したのがNI法です。

ナノインデンテーションには、ISO14577という国際規格があり、この中で試験法や、硬さの求め方(解析方法)、標準試料などが定められています。

なお以下に紹介する解析方法はISO14577(2002)に従ったものです。最新版の規格は2015版です。その中では解析方法にも変更が入っています。ただ、大まかに求め方を知るには、2002年版の方が、シンプルですので理解しやすいと考え、2002年版を紹介します。

ですので、最新版の解析方法を知りたい方はISO14577(2015)をご覧ください。
(一応本記事の最後のほうにちょっとだけ書きました。)

試験の原理と解析手法

NI法では、三角錐圧子(図3に示すバーコビッチ圧子)に所定の荷重を加えると同時に、圧子がサンプルに対して押し込まれた押し込み量を変位計で取得します。

図3 バーコビッチ圧子

ビッカース圧子は四角錐でしたが、バーコビッチ圧子は三角錐です。これは圧子先端部の加工しやすさからの配慮です。

また荷重をぬいて圧子を引き抜くときも変位を取得します。こうすると図4のような荷重-変位曲線(F-h曲線、P-h曲線とも呼ぶ。)が得られます。

図4 ナノインデンテーションの模式図

この曲線を解析して圧痕の大きさを求め、硬さ値を算出します。試験荷重が小さくなるにつれて、見ることが困難になった圧痕の大きさを、圧痕を直接観察することをせずに、荷重と変位の曲線の解析から求める手法となります。言わば「見えないものを見ようとした」試験なのです。

NI法の代表的な硬さ値と、その算出方法を紹介します。

押し込み硬さ: HIT (ITは下付き文字)

HITは材料の塑性変形の特性をあらわす解析値です。試験荷重Fを押し込み試験時の接触投影面積 (圧痕の面積)で割ったものが押し込み硬さHITとなります。

まず、圧子とサンプルが接触していた接触押し込み深さhcを求めます。除荷曲線に接線を引き、X軸との交点hrを求めます。続いて下式に従いhcを求めます。

ここで、 εは圧子の形状から決定される定数で、バーコビッチ圧子では0.75を用います。

いま圧子の幾何学的な形状は分かっているので、圧子とサンプルの接触投影面積 Apは接触押し込み深さ、hcの関数として表せます。これはバーコビッチ圧子の場合、次の形になります。

試験荷重FをApで割ったものが押し込み硬さHITとなります。

荷重変位曲線の形状に着目すれば、同一荷重で1)押し込み深さが浅く、2)除荷時の傾きが寝ているほど、HITが大きくなります。

押し込み弾性率:EIT (ITは下付き文字)

  は材料の弾性変形の特性をあらわす解析値で、いわゆるヤング率に相当する値です。NI法では従来の押し込み硬さ試験と異なり、塑性変形だけでなく弾性率を評価できる点が大きな特徴です。

EITの解析には、除荷曲線に引いた接線の傾きSを用います。

傾きSを用いて、圧子と試料の複合的な弾性率Erを次式で表すことができます。Erは試料の弾性変形だけでなく、圧子の弾性変形も含めた形での弾性率です。

また、押し込み弾性率はEITを用いて、下式のように表します。

このとき、Ei 、νi はそれぞれ圧子(Indenter)の弾性率、ポアソン比です。通常圧子はダイヤモンド製ですので、これはダイヤモンドの既知の値を使用できます。 一方νsは、サンプルのポアソン比であり、計算時に与える必要があります。よってEITの値はνsをいくつとするかで変動します。

サンプルの正確なポワソン比はふつうは知りえないものです。どのように妥当な νsを与えるかが問題ですが、文献値を使用する、どんなサンプルでも常に一定の値を使用する、といった方法が考えられます。複合弾性率Erであればνsを使わずに算出できるため、いっそのことErを評価指標として採用することもあります。

とにかく、同じ試験データ(荷重変位曲線)であっても、与えるポワソン比によってEITの値は変動します。データを比較する際は、ポワソン比にどの値を用いているかを留意する必要があります。

荷重変位曲線の形状とEITの関係に着目すれば、同一荷重の試験結果において、「除荷時の傾きがたっている」ほど弾性率が大きいサンプルと言えます。

マルテンス硬さ :HM

マルテンス硬さは、サンプルの塑性変形と弾性変形の両方の情報を評価する硬さ値です。下式に従って算出します。

押し込み硬さH_ITや、押し込み弾性率E_ITと異なり、面積の計算には接触投影面積ではなく、接触表面積を用います。典型的には、最大荷重F_max時の押し込み深さhを使って求めますが、負荷曲線中の任意のFの時のhを使って算出することもできます。よって、一度の押し込み試験で得られた負荷曲線から、連続的に試験荷重(押し込み深さ)とマルテンス硬さの関係を求めることができます。

押し込み硬さH_ITや押し込み弾性率E_ITに比べると、やや地味な扱いを受けている気がしますが、これもナノインデンテーションならではの硬さ値として有用な指標と思います。

注意する点

 ナノインデンテーションは本来光学顕微鏡にて直接観察していた圧痕の大きさを押し込み深さから解析的に算出するという試験です。言わば見えない物を見ようとした試験です。しかしその際には様々な注意が必要です。試験機は簡単に測定値を得る事ができますが、下記のような点を理解した上で使用することで、より適切な試験ができるでしょう。

外乱の影響

 ナノインデンテーションではナノメートル(10-9m)オーダーの超微小領域で試験します。試験を行う環境にも気をつけなければ誤差やばらつきの原因となります。

a)床振動や風による振動

人が感じ取れないようなわずかな床振動でも、影響を受けます。床振動を試験機本体に伝えないために除振台の上に装置を設置する事が望ましいでしょう。空調等の風によっても圧子が揺れてしまうので、カバーをかぶせて試験するのが一般的です。

b)騒音

 騒音と言っても、装置が発する騒音ではありません。装置が置いてある環境の音が試験結果を乱す事があります。これも装置をカバーして騒音の影響を受けないように対策することが行われています。

c)温度ドリフト

温度変化によって材料が膨張・収縮します。温度変化の少ない材料を試験機に使う。装置の温度安定対策をする。試験中にドリフト量を測定しデータを補正するなどがあります。

d)サンプルの固定

 サンプルがしっかり固定されていないと、妥当な試験結果が得られません。接着剤や適切な冶具により固定を行う必要があります。

サンプルの固定方法が試験結果に及ぼす影響については、東京都立産業技術研究所の研究報告である「 超微小押し込み硬さ試験における試料の固定方法の検討 」が詳しいです。瞬間接着剤(アロンアルファ)、両面テープ、セロハンテープ、修正液等を用いてサンプルを固定し、試験結果への影響を評価しています。下記リンク先にPDFデータが公開されています。
https://www.iri-tokyo.jp/uploaded/attachment/946.pdf


このような試験機ですので、試験中はなるべく静粛な環境を確保する事が重要です。特に押し込み深さが50nm以下の試験に関して信頼性、再現性のある結果を得るには特に厳しい要求が必要でしょう。

よって装置の導入を検討される場合は、装置の性能仕様の把握だけでなく、適切な設置箇所の確保も重要なポイントです。試験機導入前に候補箇所の振動や騒音の状況を入念に調査し、どの程度の性能が確保できるか把握しておくことが大切です。また導入後も適切な使用条件や設定などを試験機メーカーに相談し調整してもらう事が必要です。

原点決定精度

原理上、表面決定する際に遅れが生じる。押し込み深さが浅くなるほど遅れの影響が増大する。遅れ量が3nmの場合、300nm押し込んでいれば押し込み深さの1%の影響に過ぎないが、30nmの押し込み深さであれば、10%に相当する。10%のズレは、大まかに言えば硬さ値で20%の誤差となる。

試験機の仕様によるが、まずは表面検出前の遅れ量がどのくらいか把握しておく。それが試験の目的と照らし合わせて許容される量かを考える。例えばサンプル間の相対比較であれば、許容できる範囲も一般的に広い。許容されない場合、試験機に補正機能があれば補正する。なければデータをテキスト出力する。

ゴム等の軟質材料の場合、特に顕著に現れるので注意。

面積関数補正

図3では圧子の先端はとがってかかれていますが、現実の圧子の先端は加工精度に限界があるため、曲率半径100nm程度の球形状になっています。よって、三角錐として解析してしまうと、圧痕の大きさを見積もる際に誤差が発生し、実際の弾性率・硬さ値と大きな差がうまれます。

この問題を解決するために、広く使われているのがOliver,Pharrらが提案した補正法です。この手法では、弾性率が既知のサンプルに対して、ごく10nm程度から数μmまで押し込み深さを変えて試験を行い、得られた弾性率が一定になるように、Aの面積関数に補正をかけます。参照するサンプルは溶融石英やBK7といったガラスを使うことが一般的です。他にも、Oliver,Pharrらの方法を基にした、「澤・田中手法」なども使用されています。

面積関数補正については、下記の資料が大変わかりやすいのでおすすめです。

大阪府立産業技術研究所 テクニカルシート
「 ナノインデンテーション法における圧子先端補正 」

http://tri-osaka.jp/technicalsheet/15005.PDF

フレームコンプライアンスの影響

 サンプルに荷重をくわえて押し込む際に、フレームの側も原理上たわみます。ナノインデンテーションで加えられる荷重は、100gf程度から、数mgf程度までで、非常に小さい荷重ですが、ナノメートルオーダーの微小な変位を扱うために、試験機のたわみが無視できません。このたわみは、通常サンプルへの押し込み量の測定に混ざって測定されるため、誤差要因となります。(図参照)あらかじめフレームのたわみやすさ(フレームコンプライアンス:Cf)を測定しておき、得られた荷重変位曲線から試験機たわみの影響を除いて硬さを求める必要があります。

サンプル膜厚と押し込み深さ/表面粗さのジレンマ

試験結果はサンプルの表面粗さの影響を受けます。粗さの凹の部分を試験してしまえば、結果は硬く、凸の部分ならば結果は柔らかく出てきます。それはサンプル自体の硬さではなく、表面形状の影響を含んだ結果ですが、あとから分離する事はできません。

この影響を回避するためには、試験荷重を大きくし表面粗さの影響をうけづらくすることが有効です。一般的な経験則としては算術平均粗さRaの20倍以上の押し込み深さが必要とされています。

しかし膜状のサンプルや、サンプル表面の極表層の特性を知りたい場合、むやみに押し込み深さを深くすると、測りたいサンプルよりもその下地の特性を評価してしまいます。こちらも一般的な経験則として、押し込み深さは、膜厚の1/10以下にすべきとされています。

この2つの要求により、表面が荒れたサンプルの場合はジレンマが生じます。膜厚から考えて許す限り最大の押し込み深さで試験し、ばらつきの影響を除くよう試験点数を増やして外れ値を除外する手法が有効です。また表面の粗さを計測し、粗さの少ない箇所を選択して試験できるよう工夫された装置もあります。

下記リンク先にて、粗さが試験に与える影響について解説しており参考になります。

表面粗さと測定誤差(イビデンエンジニアリング株式会社HPより引用)

イビデンエンジニアリング株式会社 hp

http://www.ibieng.co.jp/analysis-solution/g0004/

試験点の間隔

試験点は前に試験した箇所から十分はなれた箇所である必要があります。一度押し込み試験を行うと、その影響は残った圧痕よりもずっと大きい範囲に及びます。圧痕の間隔は例えば圧痕サイズの5~10倍以上空けるように、ISO14577には記載があります。NI法の圧痕は顕微鏡で観察できないサイズとなることもよくあるので、注意が必要です。

パイルアップ(Pile up)、シンクイン(Sink in)の取り扱い

図4 ナノインデンテーションの模式図 (再掲)

図4の模式図を再掲します。この中で、図の右の押込み試験中の圧子、サンプルの形状図のうち、②の部分に着目します。圧子を押込んだとき、圧子の周囲のサンプルは、サンプルのもともとの表面よりも沈み込むように描かれています。実際の解析においても、圧子の周囲のサンプルは沈み込む(sink in)ものと仮定して解析されています。

では、あらゆるサンプルがこのように沈み込む挙動を示すのでしょうか。実際はそうではなく、サンプルの特性によって盛り上る(pile up)挙動を示すことも珍しくありません。例えば金属材料においては良く見られる現象です。

しかし、ナノインデンテーションで得られる荷重変位曲線の情報からは、サンプルが、沈み込み挙動をしているのか、盛り上がり挙動をしているのか、判別することはできません。ここで、解析モデルのほうは沈み込み挙動を想定しているため実際のサンプル挙動との乖離が発生する可能性があります。

このため、盛り上がり挙動を示すサンプルの場合は、実際の接触面積よりもモデルが仮定する面積は過小評価されてしまいます。面積を過小評価するので、硬さ値としては過大評価することになります。

また沈み込み型の試料においても、モデルの想定よりも強く沈み込みが現れるサンプルであれば、接触面積を過大評価することになります。この場合、面積を過大評価するため、硬さ値としては過小評価することになります。

沈み込み(sink in)と盛り上がり(pile up)

これらのサンプルの挙動は硬さの算出結果に、大きな影響を与えますが、 先に述べたように NI法の試験結果だけを見ていても知ることができません。

サンプルが沈み込むか、盛り上るかについては試験後に圧痕の形状を別途観察することで確認することはできます。その観察結果から、硬さ値を補正するような手法は確立されていませんが、サンプルがどのような挙動をするものか、知っておくことはNI法の試験結果を解釈する上で有用な材料になるでしょう。

ただしNI法の圧痕サイズは通常は光学顕微鏡では見えないサイズであり、AFM(原子間力顕微鏡)、SEM(走査電子顕微鏡)など、別途観察手段を用意する必要があります。

押し込み深さ100nm以下での「硬さ」絶対値評価の困難さ

先端の丸みの影響は、弾性率の解析に関しては補正が有効で、100nm以下の押し込み深さでも妥当な値がえられます。しかしこれらの補正はあくまで弾性率を基準にして行うものであり、「硬さ」においても妥当な評価結果が得られるとは限らない点に注意が必要です。本記事に説明したように押し込み硬さとは圧痕の残りやすさ:塑性変形に対する評価尺度です。しかし、圧子の先端が丸まっている領域での試験では圧痕が残りづらく、十分に塑性変形がおきません。このような場合においても試験結果として「硬さ」値は計算できるわけですが、この領域で得られた「硬さ」値、とくに絶対値は信用できないと考えたほうがよいでしょう。典型的には押し込み深さ100nm以下の領域では、押し込み硬さが低下していく傾向が見られますが、それは圧子先端の形状の影響を弾性率を基準に補正した結果の見かけの現象で、実際の値とは異なります。もともとこの領域では’硬さ’の評価が原理上困難なことを承知した上で相対評価に限って使用するなど気をつける必要があります。

ISE(Indentation Size Effect)

特に金属材料のばあい、押し込み深さが100nm~500nm以下の領域では、バルクの測定結果に比べて硬さ値が上昇することが知られています。これをIndentation Size Effect(押し込み試験の寸法効果)と言います。メカニズムは様々に提案されてきましたが、Nix、gaoらが提案した「幾何学的に必要な転移」:GN論が有力なようです。ここでは詳しくは述べませんが、金属の試験においては押し込み深さが浅くなるにつれて硬さが高くなり、バルクの値と変わる事がある、と記憶においていただき、結果を見るときに注意してもらえれば結構と思います。

参考文献:「Indentation size effect in crystalline materials: A law for strain gradient plasticity」W.D. Nix, Huajian Gao https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022509697000860

ビッカース試験 HVとの関係

 上述したように、塑性変形の抵抗を評価する押し込み硬さ:HITは、ビッカース硬さと同じ特性を評価しており、導出式も試験荷重を圧痕投影面積で割る、という同じ形式となります。ここから、HITとビッカース硬さの換算ができないか、興味がある方も多いのではないでしょうか。実はISO14577の付録には、HITに一定の係数をかけることで、ビッカース硬さの”相当値“を求める手法が紹介されています。

HIT×0.0924=HV (HITの単位が、N/mm^2のとき。)

しかし、もともと異なる試験法による値のためこのような換算は信頼できるものではないと考えます。特に、浅い押し込み深さの領域では誤差が大きくなることもあり、ISOにおいても押し込み深さが6μm以下の領域においては誤差が大きいことが指摘されています。他にも換算式を提案した例がありますが、その研究の中のあるサンプル群に対する1事例としての換算式に過ぎないため、一般的な関係を導く事は困難です。よってHITからHVを換算する事は推奨しません。HITはHITとして、新たな基準を設けて硬さ値を評価することが正しいと考えます。

最新版の規格 ISO14577(2015)について

ISO14577の2015年改定では大きく下記の2つの変更が加えられています。

  • Variable ε(可変ε)
    固定値0.75だったεが、フィッティング曲線の係数の関数となり可変値となった。(0.6~0.8)
  • Radial displacement correction(半径方向変位の補正)
    従来は押込み時の変形は垂直方向のみ起こると仮定されていたが、半径方向(水平方向)への変形も考慮した解析結果の補正

これらについては、下記の論文が原案であり詳しく解説されています。2015年版規格と併せて読むことでより規格の内容を知ることができます。

「 Higher accuracy analysis of instrumented indentation data obtained with pointed indenters 」

reserachgateの該当論文へのリンク
https://www.researchgate.net/publication/231022610_Higher_accuracy_analysis_of_instrumented_indentation_data_obtained_with_pointed_indenters

気をつけるのは、データを見るときに2002年版の解析方法なのか、2015年版の解析方法なのか把握してデータを比較する必要がある、という点です。規格の年式によって、同じ試験結果でも硬さや弾性率の値に差がでます。特に違う装置間のデータや、違うメーカー間のデータを比較する際には、注意しましょう。

ISO14577の課題

面積関数補正用のサンプルに何を使うかによって、補正後の弾性率等の解析値が変化してしまう大きな課題があります。

参考になる本

まず、ネット上で読める資料として、下記のリンクを紹介します。

ナノインデンテーション法を用いた微小領域の機械特性評価技術 に関する調査研究  田中幸美 産総研計量標準報告 Vol.10, No.1 (2019)

材料評価の一般的な基礎から、硬さ試験、試験機の原理や各種補正方法の紹介、そして薄膜や軟質材料といった実サンプルの評価事例と注意点などをわかりやすく紹介しています。

専門書としては、日本語で、ナノインデンテーションについて詳しく解説した本というのは見たことがありません。洋書であれば、下記のAnthony C. Fischer-Crippsの「Nanoindentation」が参考になると思います。しかし高価です。また、英語だと読むのが大変です。だれか翻訳するか、日本語でのよい解説書を書いていただけると大変助かります。

硬さ一般であれば、Taborの「Hardness of metal」が古典です。

そのほか、日本語の文献であれば、下記の文献が押し込み硬さ試験について詳しいです。

硬さ一般に関する読み物としては下記が有名です。硬さ試験全般にまつわる話を平易に、たとえ話などを使って解説しています。

あとは、ISO14577、Oliver、Pharrの論文あたりを読めば大体わかります。

終わりに

かつては、圧痕を直接観察してきた押し込み硬さ試験ですが、微小領域、もしくは材料の極表面を評価しようとしたとき、圧痕が小さくなりすぎて観察が困難となりました。そうして見えなくなってしまった圧痕の大きさを、試験中の変位の大きさを測定するセンサーを用いて、「荷重−変位」(P-h)曲線を使って解析的に求めようというのが、ナノインデンテーション試験です。

バンド、Bump of chicken の名曲「天体観測」には、下記のフレーズがあります。

見えないものを見ようとして、望遠鏡を覗き込んだ

作詞:藤原基央

この歌詞になぞらえて言えば、ナノインデンテーションとは

「見えないものを見ようとして、P-h曲線を覗き込んだ」

と言ったところでしょうか。

絶対的な評価に使うにはまだ難しいところもありますが、この方法でしか評価できないサンプルの特性があることもまた間違いありません。どのような試験方法、観察方法においてもそうですが、基礎、原理をよく理解し、現場で運用する際の注意点をよく理解することで始めて有用な知見が得られるようになるでしょう。

なお、本記事の内容は、月刊トライボロジー 2019年1月号 「ナノインデンテーションの基礎と知っておくべき四つの注意点」を元に、修正・加筆したものです。