「虫の知らせ」はなぜ起こる?人の心のやさしさを感じさせる不思議

「虫の知らせ」と言う現象がある。 どこか遠くにいる親族や、友人、普段は思い出さないような人などが、夜寝ているときに枕元に立つ。目が覚めると、その時枕元に立った方の訃報が飛び込んでくる。。。 と言ったのが典型的な例である。 この現象を考えるに、おそらく枕元に誰かが立つと言う経験がある方のうち、更に偶然が重なり偶々訃報が入ってきたパターンが「虫の知らせ」という不思議なエピソードとして、我々に報告されているのだと思う。 特に、戦時中や地震等の災害等があるタイミングでは、虫の知らせがよく報告されているが、そのような非常事態においては、訃報が発生する確率が高くなるためその発生確率は上がり、報告件数も増えると理解できる。 “枕元に誰かが立った。” → ”連絡したら不幸があったことがわかった。” これは虫の知らせとして、成立するため強い印象に残るし、不思議なエピソードとして他者にも語り継がれることになるが、 “枕元に誰かが立った。” → ”連絡してみたが元気で暮らしていた。” と言うパターンは、なんのエピソード性も無いため無視されてしまうのだ。実際はこのようになんでもなかった事例が「虫の知らせ」として報告される事例より、はるかに多く発生しているのだろう。 けれども無視されて報告されないエピソードは、我々にとっては存在しないものとなる。その結果として、偶然が重なったことで生じたごく少数の「虫の知らせ」エピソードのみが強く語り継がれることになる。ごく少数といっても、たくさん人はいるし、いくらでも時間はあるので、それなりの件数が報告されることになるわけだ。
超常現象や精神世界的な説明でなく、そういってしまうとロマンも身も蓋もないのかも知れない。でも現実は間違いなくそんなところだと思う。だけれど、それでも、私が「虫の知らせ」に惹かれるのは、「虫の知らせ」を”感じ取れる”人はきっと優しい人が多いと思うからだ。
それはなぜか。 虫の知らせを”受け取る”ためには、まず「枕元に誰かが立つ」必要がある。それはきっと、普段から他人の事を思いやれる、気にかけている人にきっと多く起こる現象のはずじゃないだろうか。他人に興味がない人にはやっぱり訪れないんだと思う。たとえ普段は気にかけていなくても、そのときふっと枕元に立つ、それは心の奥底で他者を思いやる気持ちがあればこその話ではないだろうか。 「虫の知らせ」の背後に、私は人が持つ「思いやり」や「やさしさ」を感じている。非常に興味深い現象だと思う。
スポンサーリンク
スポンサーリンク




スポンサーリンク




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク