巷にはSEO対策を語るサイトが溢れている。その主な内容は下記の通りだ。
- ユーザーにとって価値のある情報か(ユーザーファースト)
- 検索キーワードに合致するタイトル
- 被リンク数。
- HP滞在時間の向上
- 等々
そう言った情報の中でしばしば、取り上げられるのがタイトルの2点。すなわち、
- ブログの文字数は多いほど良い!1000文字以上書こう!
- ブログは毎日更新しよう!目指せ1日1記事!
と言った文句である。しかし私はこれらの情報には懐疑的である。
何故かと言えば、それがgoogleが大前提として掲げる「ユーザーファースト」に合致しない可能性があるからだ。
googleの言うところの、ユーザーファーストは課題を持って検索サービスを利用するユーザーに対して、課題の解決に効果的なウェブサイト一覧を提示することだ。
この観点に立てば、上記の2点の方針に問題があることがうかがい知れる。
文字数は多いほど良いか?
「文字数の多さ」と「ユーザーの課題解決」に相関関係は無い。文字数が多いことで、ユーザーの役に立つ情報が多く含まれているならそれは良い。
しかし、ただ文字数を多くしただけで、中身もなく水増しされたウェブサイトならば、ユーザーにとっての価値は下がる。googleはそこを必ず見ているはずだ。
自分が課題を持って検索サイトを利用する際の気持ちを考えれば容易にわかることだ。課題の解決ができるのであれば、サイトの記述量は少なければ少ないほど良い。その方が読むのも早い。シンプルに解答を与えてくれるサイトの方がユーザーファーストと言える。
googleは現状、サイトへの滞在時間を評価指標としている。ユーザーが長く滞在するウェブサイトほど、ユーザーにとって価値がある情報が掲載されている「はず」だと考えての指標である。
しかし、簡潔に解答を与えるサイトは滞在時間が短い。そしてその方がユーザーファーストであると言える。よってgoogleは単に滞在時間のみを評価するのではなく、サイトの内容も含めて評価しているだろう。あるいは今後必ずそのように行動するだろう。
つまり、単に文字数に拘泥し、1000文字、2000文字、5000文字と文字数を競うだけの記事作成は早晩SEO対策にはならなくなる。逆にそのような記事はサイトのSEO的な評価を落とすことになるだろう。いかにユーザーにとって価値のある記事を配信するかが求められる。
記事は毎日更新しよう は本当か?
上記の観点に立てば、自明の通り、ユーザーにとって価値の無い記事を毎日投稿しても無駄である。
毎日価値のある記事を更新できれば、それこそはSEO対策として最高であろう。毎日と言わず、毎時間、毎分でも価値のある記事を配信し続けることが可能であれば可能なだけ。
しかし、現実問題、毎日価値のある記事を提供し続けることができる人間が世の中に何人いるだろうか。それはプロの仕事の領域である。片手間にできる仕事ではない。物書きのプロでも毎日毎日連載し続けることは困難な作業である。生半可な人間にはできない。
世の中には、古典と呼ばれる作品が存在する。古典は、10年、100年、1000年たってさえも読み継がれる。別に毎日新しい作品が出てこようがこまいが、ドストエフスキーや、シェークスピアや、紫式部や、プラトンは何度でも繰り返し読まれていくのだ。
今風の言葉で言えば「ロングテール」という表現があるが、古典とは正しく究極のロングテールと言えるだろう。これこそがユーザー、つまり人類にとって究極的、普遍的に価値がある仕事なわけだ。
現代はネットワークを使用して、ごく普通の人間であっても容易に情報を発信することが可能になった。一方で我々は、大量の情報の洪水におぼれる毎日を過ごしている。
我々はこのような状況の中で、発信する情報の品質を可能な限り高め、後世に伝わるほどの「古典」となるような情報を発信しなければならない。少なくとも私の方針はそうだ。
そして、googleはそのような情報を探し出すために、自らの技術を研いでいくであろう。
文学も日常生活と同じである。どこに向かっても、ただちにどうにもしようのない人間のくずに行きあたる。彼らはいたるところに群をなして住んでいて、何にでも寄りたかり、すべてを汚す。だから悪書の数には限りがなく、雑草のように文学の世界に生い茂っている。雑草は麦の養分を奪い、麦を枯らす。すなわち悪書は、読者の金と時間と注意力を奪い取るのである。ショーペンハウアー 「読書について」斎藤忍随 訳
ショーペンハウアーが100年以上前に残した警句は今なお新しい。googleのユーザーファーストの思想はまさに、現代にはびこる途方もない大量の雑草どもをかき分け、読む価値のある情報をユーザーに提供する作業に他ならない。
それを理解するとき、単に文字数を増やすことや、毎日記事を更新することがSEO対策にならないことは自ずから明らかとなる。