スタニスワフ・レムの「砂漠の惑星」は人間の視点を相対化させる

人間のエゴ:”地球が”泣いている

「砂漠の惑星」は「ソラリス」で有名なスタニスワフレムが書いたSF小説である。

砂漠の惑星 (ハヤカワ文庫 SF1566)

6年前に消息を絶った宇宙巡洋艦コンドル号の探索のため「砂漠の惑星」に降り立った「無敵号」。主人公はその捜索隊の現場指揮官として、コンドル号の捜索を行う。
 しかし、そこで見つかったのは、仲間の死体と、攻撃を受けた形跡もなく無傷でそそり立つ船体。防衛手段も手つかずで残されていた。
 コンドル号の悲劇の原因を調査する、主人公。その先に待っていたのは非生物が支配する死と荒廃の世界だった。

物語で主人公達が対峙するのは、非生物的な知性である。
 人は往々にして、自らを絶対視して、自分たちこそが地球の支配者であるなどと考えている。

その典型は「地球が泣いている」などと謳う環境美化標語である。そんなことを言う人は、地球が涙を流すところを見たことがあるのか?と問いたい。標語を作った人が言いたいのは、つまるところ以下の通り。

「地球が泣いている」のではなくて、「人間が暮らすのに都合が悪い環境の地球になってしまい、困った私が泣いている」

これが本心である。地球は人間や生き物が生きようが死のうが知ったことはなく、ぐるぐる太陽の周りをまわり続けるだけだ。なまじ人間は生物だから、生きているということに執着し、絶対的な価値を「生」に与え、生き物にばかり共感している。


 しかし、非生物的な知性と対峙するとき、改めて我々生物にとっての生きる価値観が試される。これは我々人間が生命に対して持っている絶対的な価値観を相対化し、新たな視座を与えてくれる舞台設定だ。この小説ではSF的な設定を活かして、そこを浮彫にして我々に見せてくれる。

レヴィ・ストロースが言ったように、「歴史は人間が存在しない頃から始まり、人間がいなくなっても続いていく」なんてことを感じさせてくれる作品だ。

リアルなリーダーの姿に心打たれる

それに加えて、私が注目したのは終盤のワンシーン。主人公たちの奮闘もむなしく、隊員たちにも多くの犠牲者が発生し、頼みの綱の戦闘兵器も、敵の前に無力化されてしまう。この状況下で、主人公のボスである捜索隊の隊長、いつでも毅然として捜索隊を率いてきた隊長が、自室に主人公(ロハン)一人を呼び寄せる。

「わたしは少しやりすぎたようだね?」  ロハンは、その言葉よりも、むしろ言葉の調子や態度にびっくりした。ロハンは答えなかった。黙って立っていると、隊長は大きな手で毛深い胸をなでながら、
「しかし、あれでよかったのかも知れない」と、付け加えた。そして、ちょっと間をおいてから、かれのものとは信じられないような率直さで、
「あの時は、まったく、どうしたらいいのかわからなかった……」と言った。
 ロハンは心をゆすぶられる思いがした。この数日間というものは、隊長もロハンたち同様に、途方に暮れているくらいのことは察していたが、しかし、実感としてそのことを感じとっていたわけではないことが今はじめてわかった。心の奥底では、隊長は他の一般隊員よりも数手先を読み取っているものと信じ、またそうでなければならないと信じきっていたのである。それが、いま思いがけなく、隊長はそのありのままの姿を、表面をも、内面をも、同時にロハンの前にあらわしていた。

スタニスワフ・レム 「砂漠の惑星」 飯田規和訳

会社に入れば上司や、役員が権威となる。それは若い社員にとっては、全幅の信頼をおける圧倒的な存在である。しかし、キャリアを積み重ねていくうちに、そんな上司に対しても疑問を持つことが出てくる。


「そんな判断でいいんだろうか。」
「こういう方法でもいいんじゃないだろうか。」


そういう疑問をぶつけていくうちに、上司と言えど全てを知っているわけではなく、日々変わる状況の中で必死に考えて生きていることに気づく。リーダーも人間である。そして自分自身で考えることの重要性に気づく。

そして今自分がリーダーの立場となり開発を率いていくとき、砂漠の惑星で描かれている、リーダーの苦悩は我がことのように感じられるのだ。

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合わせて読みたい本

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哲学研究者の内田樹による、構造主義の初学者向け解説書。「寝ながら学べる」の枕ことばに偽りなく、気楽に読める一冊だ。思想を理解するには、歴史的経緯の理解が不可欠だが、構造主義前史の解説としてそこを丁寧にフォローしているのが好印象。

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哲学者である著者がタコの生態の観察を通じて、単なる物質である我々にどのようにして知性や心が生まれたのかを探る一冊。タコやイカ等の頭足類が主たる題材ではあるが、そのテーマは頭足類を一つのモデルとして、生物や人間の心の在り方を問う挑戦的な内容だ。

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戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)