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めだか子供の家
長女も次女も、同じ保育園に通わせてきた。無認可で少人数の保育園で、子どもの自主性を尊重し、目いっぱい遊ぶことを中心にした保育を行っている。子供たちは自ら遊びの内容を考え、実行する。
よほどの危険が無い限りは先生が介入したりすることはなく、木登りでも穴掘りでも鬼ごっこでも、あるいは折り紙、塗り絵、ブロック遊び、あやとりなど何でも好きなことをして過ごす。週2回は園外保育でバスに乗って遠足。川や、公園や海などでこれまた思いっきり遊ぶ。
この保育園の名は「めだか子供の家」である。また、めだか子供の家に通う子供は「めだかっこ」と呼ばれる。
「”めだか”らしいよね」
年長さんの卒園が近づくと、めだか子供の家では、海まで出かける。これを卒園遠足とよぶ。このときは保護者も同伴して一緒に楽しむ。卒園の時期だからまだ3月だが、海に行くと「めだかっこ」は服が濡れるのも構わず、海に平気で入っていく。
それを見た親は「”めだか”らしいよね」、「やっぱりこうでなくちゃ」などと喝采したりする。
でも、中には気が乗らない子もいる。そういった子は入らないし、先生や保護者も「○○ちゃんどうしたの?海に入らないの?」なんて問いかけたりしない。海に入るも入らないもその子が決めることだ。大人の勝手な計らいや思い込み、偏見で、子どもに介入したりはしない。それもまた、めだからしさ。というより、それこそが”めだからしさ”なのである。そして海に入らない子は入らない子なりに、きれいな石や貝殻を探すのに夢中になって遊んでいるのだ。
海に入ってぐちゃぐちゃに遊ぶのが、めだからしいのではなく、海に入ってぐちゃぐちゃになるもよし、海に入らず石拾いするもよし、子どもの意思を尊重し、自由に遊ぶことが許されることが、めだからしさの本質であると考える。
例えば一大イベントの運動会においても、競技に参加する子もいれば、中には緊張したり恥ずかしかったりして、参加できない、気分の乗らない子もいたりする。
そういう子に何も無理強いすることはない。折角の舞台だから参加すべきとか、運動会では元気に過ごすべきとかいうときの、○○「すべき」というのは、それを唱える個人の価値観に過ぎない。
長女も年少の時はほとんどの競技をボイコットしていた。それでも翌年には全部参加していた。本人にその気があれば、周りがとやかく言わずともできるものだ。(もちろん3年間ボイコットし通しても全く構わない。だが、年数を重ねるうちに自然と参加したくなるようだ。)
子供らしいとか、らしくないとか
大人は、子どもらしいとか、らしくないとか言うけど、子供らしさの本質ってなんだろうか。子供らしさの中には、大人が作った幻想や偏見も多分に含まれている。子供らしさではなく、その子らしさを認めてあげたいと、我が家では思っている。それを伸ばせる場所が「めだか子供の家」である。
私自身感じるのは、このような場所が、親である自分自身にとっても居心地の良い場所であること。その子らしさを大切にすることは、すなわち、その家庭らしさ、その親らしさを尊重することに他ならない。肩ひじ張る必要がなく、解放された気分になるのは、子どもだけでなく保護者もまた同様であると感じる。
めだか子供の家
http://www.medakakko.com/
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