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“しない”ことが開く可能性
エフォートレスな行動で、能力を最大化する 「無為」の技法 Not Doing何かを自分は「知らない」という状態。普通は恥ずかしい、勉強不足、能力不足。。。とネガティブに捉えてしまいがちではないだろうか。しかし実は「知らない」という状態や、視点こそが新たな発見や創造を産むかもしれない、可能性の塊であり「無知」を積極的に活かしていこう、と述べた前著、「「無知」の技法」。
もともと世界に唯一絶対の正解などないにもかかわらず、その正解を自分だけが知らないのではないか、という不安に駆られていた、自分の目を覚ましてくれた思い出深い一冊だ。(下記は前作の書評。)
この「「無為」の技法」は、その「「無知」の技法」の続編である。「無知」:”知らない” から 「無為」:”しない” へとその射程を拡張した今作。
とにかく、現代には「しなくてはならない」「やっておくべき」「〇〇すべき」と言った言説が山ほど溢れて、人々を煽り立てている。しかしながら、人の持つ時間は有限であり、それら全てをやり遂げることなど到底できやしない。だから、この世界で生きていくためには、何かをやると決める、それと同時にその他の全てはやらないと決める、そのためにまずは何かをしないと決めること、それが必要だ。
そのための良きガイドブックとなるのが、本書「「無為」の技法」だ。
ネガティブ・ケイパビリティ
「「無為」の技法」を貫く視点は、前作「「無知」の技法」から引き継がれた「ネガティブ・ケイパビリティ」(Negative Capability)という思考だ。端的には、「ない」を受容する力、である。これは詩人のジョン・キーツが、兄弟にあてて書いた手紙で使った表現だそうである。
事実があるはず、理屈があるはずと追求するのではなく、不確かなこと、不可解なこと、よくわからないことの中に、ただすっくと立っている力
何かがあるはずのものがない、足りない、という状況は我々にとって、決して心地よいものではない。だから足りないものを求めて、すぐにでも行動を起こしたくなる。原因不明の何かが起きたときはすぐに、”解釈”したくなる。それがどんなに手前勝手な一方的な解釈であっても。もし自分ではわからないことがあったら?そんなときは”専門家”の出番だ。専門家は「無知」な自分とは異なり、「知識がある」。だから彼らの解釈に従えばすぐに安心できる。これでもう万事OKだ。。。
しかし、いつの時代にも現実に起こっていることは、そんな簡単に片付けられる問題ばかりではない。様々な要素や、人間が関わってできていう現実は、関わる人間の数だけ視点があり、それぞれに各人にとって合理的な解釈があり得る。そして、専門家もその中の一人にすぎない。肩書きに惑わされることなく、自らの価値観を守らねばならない。
そのために、必要なのがネガティブ・ケイパビリティである。まずは、不確かなこと、不可解なこと、よくわからないことの中に、ただ立っていること。慌てることなく、動じることなく、未知の世界のなかにいる自分を受容することである。まずしっかりと自分の足で立ち、自らの居場所を定めること。そこから次の一歩を踏み出すことができる。
何かを”する” = ほかの何かは全部”しない”
それでも、人々は何かをしたくてたまらない。何かをせずにはいられない。その根底にあるのは「不安」である。不安が人々を行動に駆り立てるのだ。
それは何かを”する”、という決断の裏に、他の何かは”全部しない”という決断がセットになっているからだ、と本書は説く。
FOMOの根底には、選ぶことへの不安がある。本書著者のひとりであるスティーブン・デスーザはセラピストとしての研修を受けていたとき、「選ぶことは失うこと」という言葉を学んだ。何かを選択すれば、別の選択肢を除外することになるからだ。できるだけ多くの選択肢を持っていることが好ましいとされる現代では、選ぶ、すなわちその他を捨てることが不安で、抱え込まずにいられなくなるのかもしれない。
「「無為」の技法 」本文より
FOMOとは「逃すのが怖い(fear of missing out)」の略語である。例えば、職場でのFOMOは必要以上の委員会や会議に出席する、CCで入ってくるメールをフォローし続ける、断りたい業務も引き受ける、などと言った形で現れる、と紹介されている。
行動経済学の研究成果によれば、人は何かを得るときよりも、失う時のほうが強烈な印象を受けるそうである。だから人は失うことを恐れて一つに決めることができないのかもしれない。
私自身は職場ではプロダクトマネージャーという職種で働いている。これは担当するプロダクト(製品)について、そのビジネス的成功や、社会的な成功(いかにして社会貢献するか)といったビジョンの策定を行う職種であり、その責任は重い。特に重要な職務は、正解など誰にも分かり得ない事柄、課題について、責任者として決定し方針を示すことである。
そんな時、ある選択肢を取ることで、その他の選択肢を捨てる、という決定の重みに耐えかねて、判断を保留したくなる誘惑に駆られることは多い。実際、慎重に判断したほうが良いこともあるため、一概に即断即決が良いとは限らない。「今は決断しない」という「決断」が必要な場面もあるからだ。
しかし、どんなときも、FOMOに流されるのではなく、ネガティブ・ケイパビリティを意識し未知の世界としっかり向き合って、決断をしていきたい、なにより自分自身が納得して生きるために。と、本書を読んであらためて感じた。
ショーペンハウエルの教え:良書を読むために
ドイツの産んだ哲学者、ショーペンハウエルは様々な箴言を残したことでも知られている。このショーペンハウエルも”しない”ことの価値を見出していた人物である。「読書について」という評論の中には次のような一節がある。
“良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。”
ショーペンハウエルが生きたのは18世紀から19世紀にかけてであるが、現代においてもこの言葉は色あせずにむしろ重要性を増している。ここでは読書を題材に、”しない”ことの価値を指摘しているが、読書に限らずあらゆることにおいてこの発想はいきるものではないだろうか。本書「「無為」の技法」は、この現代においてますます重要さをます、”しない” ことの価値を我々に示してくれる貴重な一冊であろう。
献本御礼
本書は、出版元の日本実業出版社様よりご恵贈いただきました。末尾となりましたが、この場であらためてお礼申し上げます。ありがとうございました。