サイクリングの魅力は私にとって何か

入山峠から望む朝日に輝く八王子市

サイクリングの魅力は数あれど

サイクリングを趣味とする人は多い。特にこの10年くらいでとても増えたのでは無いか。サイクリングという趣味にはさまざまな側面がある。人それぞれ色々な観点から魅力を感じていることだろう。

  • レース(競技)としての楽しみ
  • 仲間づくり
  • 体力、健康増進
  • 機材へのこだわり
  • ツーリング、景色を見ること
  • etc。。。

本記事では、ごく個人的な考察として自分自身がどこにサイクリングの魅力を感じているのか掘り下げて考えてみた結果について記す。誰得だよ、という記事。

空気と接すること 空間の連続性

自転車の魅力として、一般的にも言われるのは「風を切る感覚」と言うやつである。風になって走る、的なあれである。しかし風を感じることがなぜ重要なのか。

私なりに風を感じることの重要性について考えて見ると、それはつまり「空気の連続性」を感じられるかどうか、に帰結した。これは、どういう事か。私がすきな走り方は、ソロで早朝早起きして、ちょっと遠くまで出かけて遅くとも午前中のうちには帰ってくる、というものである。

このとき重要なのは、自宅から遠出した目的地までの空気の連続性、空間の連続性なのである。遥々やってきた此の地と、我が家のある遠い彼の地は確かに連続している、確かに繋がっていると言う感覚。この空間の連続性、距離感覚を肌身で感じられることが私にとっての自転車の魅力である。

一旦壁やガラスで遮られた自動車の車内で移動することは、その感覚を我々に与えない。極論すればワープ装置のような物だ。自動車は部屋に閉じこもって所定の手続きを時間をかけて行うことで目的地に辿り着くという装置と見なせる。

これは特に私が運転を好まず、できることならハンドルは握りたくないという性分であるから余計にそう感じるとも言える。助手席に乗っているだけなら、自動車による移動はまさにワープ装置に近いものとなる。

例えば、スポーツカーの中でもオープンカーと言うジャンルが存在するのも、この空気・空間の連続性を体感したいという願望のためであるように思う。4輪よりも2輪の方がより趣味的な色彩を帯びているのも、屋根が無いという不便さとともに、空間を味わいたいという好事家の視点があるからでは無いか。

肉体に回帰すること

であれば、必ずしも自転車ではなくて、自動二輪やオープンカーでもいいじゃん、という話になる。

しかしそこは自転車においてエンジンが自らの肉体であるところが大きく違う。空間の連続性のほか、自分の肉体が世界と一致する、重なり合う体験は自転車ならではないだろうか。肉体と世界の一致。タイヤを通じて地面、大地と世界と繋がる感覚。頭で地形や地理を、速度計で速度を感じるのではなく肌身の感覚を通じて世界を感じ取る体験である。肉体に回帰する経験である。

ペダルを踏み、チェーンを介して駆動されるタイヤに加わるトラクションが自らの足の裏の感覚のように感じられる時がある。人馬一体ならぬ人車一体の境地がそこにある。肉体が拡張されて延長された存在としての自転車である。

特にこの「世界を体で理解する」と言う点に関して言えば私の愛好する、シングルスピード自転車は非常に優れた自転車である。シングルスピードには変速機が無い。だから道の傾斜や、向かい風の状況などに対応するためには、自らの肉体を持ってケイデンスを調整するしか無い。ここに周囲の環境の変化をダイレクトに感じて、自分の方から歩み寄るという体験が可能になる。

シングルスピード自転車において、変速機が無いことはデメリットではなく、むしろ世界をより深く体感し一体になるための優れた舞台装置であると言っても過言では無い。

世界を肉体で感じ取ると言うことであれば、ランやウォーキングもまた選択肢となり得る。たしかにそうである。しかし、徒歩では実現できない距離と速度が自転車では容易に達成できる。そこがランやウォーキングとは大きく違う点である。肉体で、この世界を、空間を感じ取る体験が、ランやウォーキングをはるかに超えるスケール(速度、距離ともに)で可能にすることができる装置、それが私にとっての自転車であり、自転車の魅力なのである。

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足りない事は制約ではない

シングルスピード車においては、変速機が無い。それは多段変速機構が当たり前となった、現代のスポーツバイクから見れば、あるべきものが「不足」しており、「不便」である、としか解釈されないかもしれない。しかし、ひとたびシングルスピードで坂道を走れば、自ずと新しい世界が開けてくる。あるべきものの欠如は、不便な制約ではなくむしろ新しい可能性を感じさせてくれる、プラスアルファにもなり得ることを。

パラスポーツを題材に、障害がある事は欠如ではなく、競技性を増すための追加ルールである、と指摘した伊藤亜紗氏の「目の見えないアスリートの身体論」に現代サイクリストが学ぶところは多いのでは無いか。特に、最新パーツの紹介に明け暮れる自転車雑誌に飽き飽きしている諸兄には一読をオススメする。

障害は競技をスポイルするものではなく、拡張する追加ルール。追加ルールにより、新たな競技性が追加されて、元のスポーツとは異なる高度な技術や別種の肉体の鍛錬が必要となるのだ。そこには、健常者とはまったく異なる身体や世界の認識に基づく世界がある。

肉体回帰思想

脳による「思考」ではなく、肉体による経験からこそ人は学ぶべきである、という肉体回帰論。長野県で行われた、「学びの県づくりフォーラム」において、解剖学者の養老孟司氏からも類似の指摘が行われていたことは見逃せない。

長野県 学びの県づくりフォーラム第2回目は、解剖学者の養老孟司氏をゲストに招いて行われた。本記事ではその開催記を読んだ感想をまとめている。脳による思考やデータばかりを重視するのではなく、肉体感覚に根ざして生きよ、と養老氏は言う。