マルチタスクへの幻想を捨ててシングルタスクへ集中せよ

マルチタスクへの幻想

社会人になったばかりの頃、会社の偉い人が「仕事のできる人は2つ3つの仕事は苦もなく同時並行で進めることができる。」と言っていたのを聞いたせいで、「マルチタスク」が出来る人間というのに憧れていた時期がある。

当時思い描いていたマルチタスクは、極端に言えば聖徳太子の如きもので右手と左手で同時に別々のことをやってしまうようなイメージであった。当然のことながらそのようなマルチタスクはできない。程なく現実を知ることになったことは言うまでもない。

そういうやり方をすると、食い散らかした仕掛品のような仕事ばかり増やしてしまう。これは害悪以外の何者でもない。完了しない仕事はなんら価値を生まない。作りかけのオムライスとハンバーグがあっても誰のお腹も膨れないが、完成したオムライスと、手付かずのひき肉は、まずオムライスを食べてもらうことで誰かのお腹を膨らますことができる。仕事は終わらせて始めて価値を産むのである。

偉い人が言いたかった、複数の仕事を同時に進めるとはどういうことであったか。たとえば段取りを工夫して、待ち時間を利用して他のこと進めるとか、他人に何かをお願いしておいて自分は別のことをやる、などではないだろうか。部下を持つ管理職の働き方はマルチタスクに見えるかもしれない。そういう意味では優秀なマネージャーは同時にたくさんの仕事を扱うことができるだろう。

しかしながら、それでも実際に個々人ができることは常に目の前の一つのタスクに取り組むことだけだ。

マルチタスクと言えば、コンピュータではないだろうか。ウイルス検索しながら、ストリーミングで音楽再生しつつ、ワープロアプリを動かすコンピュータはマルチタスクしているように見える。

しかし実のところコンピューターが行っているマルチタスクも、複数のシングルタスクを高速で切り替えて実行しているに過ぎない。それが可能なのはコンピュータが十分に高速でシングルタスクをこなせるからだ。

つまるところ、シングルタスクを十分に高速で行えることが肝要なのである。

シングルタスクへの回帰

という事で、結局はシングルタスクをいかに「効果的に」処理するか、というところに行き着く事になる。効率よくというより「効果的に」というのが私のイメージである。

優先順位

何かの本に「間違った優先順位でも無いよりはまし」と書いてあったが、一度に一つしか実行できない以上、優先順位は重要だ。

まず思いつくのは、すぐ終わる仕事を瞬殺することである。メールやチャットへの返信は瞬殺するのが良い。細かい仕事でも数の暴力というものがある。頭数を減らすことが実は肝心だ。

なぜなら、たくさんのタスクを管理しておくこと自体が相当のストレスだからである。しょうもないメールへの返信であっても、返信することを忘れてしまうと後でしっぺ返しを食らうこともある。だからと言って記憶しておくなり、todoリストに書くなりすること自体が脳や時間といったリソースを消費してしまう。飛び込んできた仕事に対して、それがすぐ終わる内容なら進めたい仕事を中断してでも、速攻で片付けておくことが大事だ。

すぐに終わるタスクからどんどん終わらせる、と言うのは生理学的にも妥当なように思われる。脳には“作業興奮”という現象があり簡単な事でも何かを始めて脳が興奮してくると後は惰性で脳が活発に働くようになるそうだ。まずは簡単なタスクを片付けて弾みをつけてから本命に当たるのは合理的なのだ。

また自分がリプライする事で他人の仕事が進むという事もある。組織を円滑に回すためにも、リプライを溜めない方が良いだろう。そうすることで結局はチームでの生産性を上げることに繋がり、複数人でマルチタスクを進めることになる。これに関連して、自分の次の工程がある仕事も先に済ませた方が良いだろう。

優先順位という意味では、やる必要ない事をやめるのも有効である。少なくとも今やる必要ないってことはやめよう。やらないことを決めることは大事だ。というか、「何かをやる」ということは、「他の全てをやらない」ということだからそれこそが優先順位を決めるということの本質なのだが。全部が大事、というのはどれも大事じゃないと言うことに他ならない。

上記に関連して、物事には適切なタイミングと言うものがある。スポーツなどでもタイミングよく身体各所の運動を連動させる必要があるが、仕事においてもそうで、適切な時に適切な仕事を行う必要がある。

根つめてゴリゴリやらなくても、必要十分なことを必要なタイミングでしっかり出力すること。たとえばスポーツ、野球のバッティングにおいてもガチガチに力を入れて構えるのではなく、力を抜いて構えてインパクトの瞬間だけ力を入れてボールを飛ばす、と言った話があるが似たようなものだと思う。これもまた優先順位を考える上で大事なことだろう。上記の「効果的に」処理するという感覚はここに宿っている。

個々のタスクを終わらせる

優先順位が決まったら、個別のタスクをつぶしていくことだ。個々のタスクを前にその戦闘力が問われる。仕事を終わらせること。そのためにはコツが必要だ。

悩むことと考えること

「下手の長考休むに似たり」という言葉があるがこれは核心をついている。最近は「シン・ニホン」が話題の安宅和人さんの本「イシューからはじめよ」にはこんなことが書いてある。

「仕事で悩むな、考えろ」。素晴らしい指摘である。仕事は悩むものではなく、考えて進めるものである。長い間悩んでしまう状況というのは、そもそも進め方や、仕事の内容設定自体に誤りがある可能性がある。あるいは仕事の内容が適切な粒度に十分に分割されていないのだ。それをひたすら悩んでいても無駄なのである。

こういう時は自分で考えてもラチがあかない時もある。特に経験が浅いうちは尚更だ。自分が悩んでいるのか、それともちゃんと考えているのか、知識が足りないのか、経験が足りないのか、そもそも解のない問題なのかさっぱりわからない。だからそういう時は先輩とか同僚とか後輩とか配偶者とかに相談した方が良い。誰かに話を聞いてもらうだけで、頭の中が整理されるから。

頭の中がぐちゃぐちゃになって、それを誰かと一緒に整理して、仕事を仕上げて、というプロセスを繰り返すうちに、一人でもこなせることが増えてくる。そうしたら今度は他人の話を聞いてあげよう。

終わらせるイメージを持つ

仕事を終わらせるにはどうするか、というと「終わらせれば終わる」ということに尽きる。禅問答というかトートロジーというか、意味不明な文章だがしかし一定の真理が含まれていると思う。

簡単な仕事や単純な仕事ならいざしらず、難しい仕事(つまり価値がある仕事)が完璧に仕上がる事なんてそうそう無い。いつまでもつつこうと思えばつつき続けられるものだ。だから、どうなったら終わりなのか、を明確にイメージして、できれば文章なりで定義しておく。これができないといつまでも延々と重箱のすみを突き続けることになる。完璧ではなくても終われば良い。

この続きはまた思いついたら書くとして、この記事もひとまず終わらせます。。。